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東京高等裁判所 昭和47年(行コ)68号 判決 1977年11月29日

控訴人(被告) 日本原子力研究所

被控訴人(原告) 沢井文雄 外八四名

〔原審〕 水戸地方昭和四三年(行ウ)第一六号(昭和四七年一〇月一一日判決)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。との判決を求める。

二  被控訴人ら

控訴棄却の判決を求める。

第二当事者の主張

一  被控訴人らの請求原因及びこれに対する控訴人の認否

次のとおり訂正、削除するほか、原判決事実摘示の(請求原因)欄及び(請求原因に対する被告の答弁)欄中、宇賀丈雄及び岡崎晴義の請求に関する部分を除くその余の部分と同一であるから、これをここに引用する。

1  原判決三枚目裏四行目から同四枚目表八行目までを削除する。

2  原判決四枚目裏一一行目、同一〇枚目裏六行目及び同一八枚目表六行目に「同月二一日」とあるのをいずれも「同月二二日」と改める。

3  原判決七枚目表二行目冒頭から同三、四行目「……明白である。」までを「本件業務命令による直勤務体制の変更は後に主張するとおりJPDRの直勤務者の労働条件を大幅に低下させるものである。」と改める。

4  原判決一四枚目表八行目を「二 同第二項1の事実は認める。同2については、本件業務命令の内容とされた新たな勤務体制が四班三交替制であるとの点を除き認める。

右勤務体制も後に主張するように五班三交替制の一態様であつて、変則五班三交替制とでもいうべきものである。」と改める。

5  原判決一四枚目表九行目から同裏九行目まで、同一五枚目裏三行目から同一六枚目裏一行目までをいずれも削除する。

6  省略

二  控訴人の主張

控訴人が実施した本件ロック・アウトは以下に述べるとおり正当性を有するから、控訴人は被控訴人らに対する本件ロック・アウト期間中の賃金支払義務を免れるものである。

1  (ロック・アウトの法理)

労働者の提供する労務の受領を集団的に拒否するロック・アウト(作業所閉鎖)は、使用者の争議行為の一態様であるところ、最高裁判所昭和五〇年四月二五日判決(民集二九巻四号四八一頁)が判示するように、現行労働法制上使用者の争議権については何ら規定するところがないことから、使用者に対し一切争議権を否定し、使用者は労働争議に際し一般市民法による制約の下においてすることのできる対抗措置をとりうるにすぎないとすることは相当でなく、個々の具体的な労働争議の場において、労働者側の争議行為によりかえつて労使間の勢力の均衡が破れ、使用者側が著しく不利な圧力を受けることになるような場合には、衡平の原則に照らし、使用者側においてこのような圧力を阻止し、労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段として相当性を認められるかぎりにおいては、使用者の争議行為も正当なものとして是認されると解すべきである。そして、ロック・アウトの正当性は、右判決の説くように、個々の具体的な労働争議における労使間の交渉態度、経過、組合側の争議行為の態様、それによつて使用者側の受ける打撃の程度等に関する具体的諸事情に照らし、衡平の見地から見て労働者側の争議行為に対する対抗防衛手段として相当と認められるかどうかによつて決すべきものである。

ところで、右にいう「労働者側の争議行為によりかえつて労使間の勢力の均衡が破れ、使用者側が著しく不利な圧力を受けることになるような場合」とは、「企業の目的の達成が阻止された場合」、「施設の安全が危険におとし入れられた場合」、「重大な経済的打撃を被つた場合」あるいは「企業の存立が脅かされるような危険が現実に存在する場合」等に限定されるものと解すべきではない。特に、控訴人について考えた場合、その事業は利潤の追求を本来の目的とするものではなく、国の公共的な政策の遂行そのものを目的とするのであり、かつ、特別法により設置されたものであるからその廃止なしには企業が存亡することはありえない。一方、このようなところから労働者の要求及び争議行為にはいわゆる市場抑制力が働かず、労働者側が過大な要求をし、熾烈な争議行為を選択する可能性が極めて大きいこととなり、しかもその業務の停廃は間接的にせよ国民生活全体の利益を害することとなるので、右争議行為の圧力は一般私企業における場合と異なり著しく強大なものとなる。ロック・アウトの正当性の判断基準としてこのような事情を考慮することなく一様に前示のような場合であることを必要とするものと解するならば、控訴人の受けた打撃が事業の本来の目的とする業務の遂行そのものの停廃であつてそれがいかに重大なものであつても、経済的な損失に還元されない故をもつて、又は企業の存立を危殆ならしめる程度に至つていない故をもつて、控訴人にロック・アウトが認められないことに帰し、公平の理念に反することとなる。また、ロック・アウトの正当性の要件としては、現実に労使間の勢力の均衡が破れ、使用者が著しく不利な圧力を受けたことを要するものではなく、そのおそれが現存すれば足りると解すべきである。

右に述べた法理に従い、以下2ないし5において本件ロック・アウトの正当性を判断するための具体的諸事情を検討する。

2  (本件業務命令の適法性、有効性)

本件労働争議は控訴人が従前の勤務態様を変更すべく昭和四二年一二月二七日に発した本件業務命令を端緒とし、その実施をめぐつて行われたものであるところ、被控訴人らは右業務命令が違法のものであり、本件ロック・アウトはその違法な業務命令を貫徹するために行われたものであると主張するので、本件ロック・アウトの正当性を論ずるにあたつて、まず、本件業務命令の適法性、有効性を明らかにする。

(一) (労働協約の失効)

(1) JPDRは日本ゼネラルエレクトリック株式会社の製作、建設により昭和三八年一二月完成し、控訴人の所有となつたものであるが、右完成を控え、控訴人と原研労組との間に、JPDRの運転業務に従事する者の直勤務について、昭和三八年五月三日付をもつて協定が締結され、同年九月二六日以降については五班三交替制、六月二〇日までについては四班三交替制として取り決めることが定められた。その後同年七月二一日JPDRの運転員に関する直勤務につき同年九月二五日までは四班三交替制により、同月二六日以降は五班三交替制による旨の協定が締結され、同時に右九月二五日までの期間についての具体的な労働条件等を定めた了解事項が締結され、同年八月一五日には、放射線管理班員の直勤務に関し、右協定及び了解事項とほぼ同旨の協定及び了解事項が締結された(右七月二一日付及び八月一五日付協定を以下「本件両協定」という。)。その後同年九月一七日に締結された了解事項により、本件両協定及びこれと同日付の各了解事項の規定にもかかわらず、九月一八日から同月二五日までの間五班三交替制によつて直勤務を行うこととされ、これに関する勤務編成、手当等の具体的な労働条件が定められ、更に本件両協定によつて予定されていた九月二六日からの直勤務につき、同月二五日付をもつて了解事項が締結され、右同様の具体的な労働条件が定められた。この了解事項は一〇月一七日をもつて存続期間が満了し、以後存続期間を限つて一〇月一八日付、一一月一六日付及び昭和三九年四月二日付をもつて五班三交替制をその内容に含む了解事項が締結されたが、右四月二日付了解事項の存続期間が満了した同月一六日以降は控訴人と原研労組間にJPDRの直勤務に関し了解事項等の労働協約が成立することはなかつた。

(2) 以上に基づいて考えるに、まず右昭和三八年五月三日付の協定は、直接的に五班三交替制を定めたものではなく、JPDRの直勤務に関して別に労働協約を締結することを予定し、これに五班三交替の勤務態様を定めるべき債務を負うことを取り決めた、いわゆる債務的効力を有する協約にすぎないものであり、本件両協定のうち九月二六日以降五班三交替制による旨の定めは右債務の履行として定められたものであつて、これにより右債務は目的を達して終了したこととなる。仮に右五月三日付協定が規範的効力を有し、これと本件両協定が各々独立の協定であるとしても、同一の内容を有する前後二つの協定がある場合は、後者の中に前者の規定が解消され、その限りにおいて前者の協定が失効するとみるべきであるから、いずれにしても右五月三日付協定が本件両協定の成立により失効したことは明らかである。

次に、本件両協定中九月二六日以降の直勤務について定める部分は、単に五班三交替制による旨を定めているだけで、具体的な労働条件については白地のまま残され、この白地の部分は両当事者の協議によつて補充されることが予定されていた。そして前記九月二五日付了解事項により勤務編成、人員、勤務時間、手当等の労働条件が具体的に定められることによつてその補充が実現されたのであるが、右了解事項は、単に右補充をしただけにとどまらず、本件両協定の内容のすべてを包含した新たな独立の労働協約として成立したものである。このことは、右了解事項の中に本件両協定で定められている五班三交替制による旨の文言が再び置かれ、本件両協定が効力を有すべき部分が全くなくなつていることによつて明らかなところである。すなわち、九月二六日以降の直勤務に関しては、本件両協定は右了解事項の中に解消されて全く適用の余地のなくなつた労働協約として、その効力を失つたとみるべきものである。

しかして、右了解事項の失効後、前記のとおり控訴人と原研労組との間に順次了解事項が締結されていつたが、その最後のものである昭和三九年四月二日付了解事項の存続期間(右同日から同月一五日まで)の満了によつて控訴人と原研労組間にはJPDRの直勤務に関する労働協約は一切存在しないこととなつたのである。そこで控訴人は、同月一日付で制定した「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」をJPDRの直勤務に従事する者にも適用することとし、同月一六日以降右直勤務は右規則に基づいて行われることになつた。そしてその後控訴人と原研労組間に右直勤務に関する労働協約が締結されることはなかつたのであるから、控訴人が右規則を改正した上で発した本件業務命令が労働協約違反のそしりをうけるいわれは全くない。

(二) (変則五班三交替制)

仮に本件業務命令当時、本件両協定がなお効力を有していたとしても、本件業務命令は五班三交替制の一態様たる変則五班三交替制とでもいうべき直勤務態様を定めるものであるから、本件両協定に何ら違反するものではない。すなわち、

(1) 前項記載の各了解事項及び規則で定められた五班三交替制の具体的勤務編成は次のとおりであつた。

第一日

II

III

第二日

II

III

第三日

II

III

第四日

II

III

第五日

III

II

第六日

III

II

第七日

II

III

第八日

II

III

第九日

II

III

第一〇日

II

III

(右のうち「I、II、III」とあるのは第一直、第二直、第三直を、「明」とあるのは第三直終業後の明け休みを、「休」とあるのは休日を、「日」とあるのは通常勤務に服する日勤日を意味する。)

控訴人が当時右のような五班三交替制を採用したのは、原研労組が執拗にその採用を要求し、当時の客観情勢からこれとの摩擦を避けたいとの配慮があつたことのほか、その実質的な理由としては右五班三交替制に以下のような合理性があつたことによる。すなわち、JPDRはわが国最初の動力試験炉であつてその当初の運転には高度の技術を要するので、運転開始後暫くの間は相当数の大学卒の研究員を運転員として配置し、原子炉の特性の解析、運転操作要領の作成、整備等の業務をこれらの運転員に処理させることが必要であり、これらの業務は直勤務の中に設けられる日勤日に短期間で迅速に行うことが必要であると考えられた。運転初期における右のような業務の性質から、その段階における直勤務編成としては日勤日が短期かつ頻繁に当たる態様のものとして、前記のように一〇日間に二日の日勤日が指定される二日連続型の五班三交替制が望ましいと考えられたのである。また、当時としてはJPDRの不測のトラブルに備えて慎重な運転を行うことが必要とされ、そのためには運転開始後当分の間は余裕のある五班三交替の勤務態様をとることが適当であるとも考えられた。

(2) ところが、昭和四一年の半ば頃に入ると、JPDRの運転について既に三年の経験を積んで運転員がこれに習熟し、原子炉の特性もほぼ解明されるとともに、基本的な運転操作要領もおおむね整備されるに至つた。このような事情の変更に伴い、大学卒の研究員は逐次運転班から引き上げて他の業務に就かせ、これに代わつて高校卒の技術者を運転員に多く配置することとしたのである。そして、昭和四一、四二年頃になると、先に述べた業務に代わり三、四年にわたる運転の結果得られた各種データの整理・解析、評価の業務が重要性をもつようになつた。これらの業務は、その性質上同一人がある程度の期間継続して専念することが必要とされ、短期間継続的にこれに従事する方法ではその能率が著しく低下するものであるから、従前実施されてきた五班三交替制は右当時においては極めて非能率的な制度となり、その存在理由が失われるに至つた。

右のような事情からJPDRの直勤務について、同一人の日勤日をまとめ、ある程度の期間日勤日が継続する制度を採用することが必要であると考えられるに至り、昭和四一年秋頃から従前の直勤務態様の再検討が行われることとなつた。当時控訴人には、昭和四三年秋から約二年の工期をもつてJPDRを改造し、その出力を二倍に高めるためのJPDRII改造計画なるものがあり、右工事期間中はJPDRの運転が停止されるため、もはや五班三交替制によるべき理由が全く失われるので、右改造工事着手後に四班三交替制へ移行することは控訴人内部においては一般に当然のことと考えられていたが、少なくとも右工事着手まではJPDR部の組織、人員について変更することは全く考えられていなかつた。こうして、以上の事情を総合的に勘案し、さらに労働科学的な見地からの配慮をも加えて立案され、決定をみた勤務態様が本件業務命令の内容とされ実施されたのであり、具体的には、JPDR部第四課の組織、人員はそのまま存置し、その勤務編成は次表のとおりとし、四つの班が次表の方式による一二日周期の直勤務を三回繰り返し、残りの一班はその間(三六日間)日勤勤務を継続し、しかるのち直勤務班の一つと交替して直勤務に入るというものであつた。

第一日

II

III

第二日

III

II

第三日

III

II

第四日

III

II

第五日

III

II

第六日

III

II

第七日

III

II

第八日

II

III

第九日

II

III

第一〇日

II

III

第一一日

II

III

第一二日

II

III

(3) ところで、五班三交替による勤務といつても、その実際の勤務編成は直の転換方式、各班が各直の勤務を一巡するのに要する周期等の組合せにより種々の態様のものがありうるのであつて、本件両協定自体は五班三交替制によることを定めるだけで、それ以上の具体的な勤務編成を取り決めたものではなく、この点はその後の了解事項及び前記規則によつて初めて定められたのである。そもそも五班三交替制においては、直勤務に従事するのは毎日三班で足りるのであるから、他の班につき相当の日数の日勤日を指定することが必要とされるわけで、この場合、編成方式のいかんにより日勤日の連続日数は長短さまざまのものが考えられるのであり、右了解事項及び規則においてはそれが二日とされていたのに対し、本件業務命令においてはそれが三六日とされたというだけにすぎず、一班が直勤務に就かない日勤期間が年の単位をもつて表わされるような長期にわたるというのであればともかく、それが右の程度にとどまる以上、このような勤務態様もまた五班三交替制であることには何ら変わりがないというべきである。そしてこのことは原研労組自身も当時十分認識していたものである。

(三) (労働条件の異同)

本件業務命令によつて実施された変則五班三交替制は主として前項で述べたような業務遂行面での配慮に基づいて採用されたものであるが、控訴人としては、直勤務という不可避の反生理性をもつ勤務態様に伴う負担の軽減を図る見地から労働条件の改善に意を用いた結果、この面においても有用な効果をもたらすものであつた。

すなわち、従前の勤務態様における労働条件と本件業務命令により実施された勤務態様におけるそれとの異同は次表のとおりである。

労働条件の異同

従前の労働条件

(四三・一・五まで)

業務命令により実施た労働条件

(四三・一・六から)

年間労働時間

二〇五〇・七二時間

二〇四〇・九四時間

年間直勤務労働時間

一六四三・八五時間

一五三四・一八時間

年間休日数

八六・五八日

(明け休み三六・五三日を含む)

七一・六一日

(明け休みを含まず)

年間各直勤務度数

各直とも七三・〇六回

各直とも七三・〇六回

各直当たりの労働時間

第一直

七・五時間

七・〇時間

第二直

五・五時間

五・五時間

第三直

九・五時間

八・五時間

直間の時間

同じ直の場合

第一直→第一直

一五・五時間

一六・〇時間

第二直→第二直

一七・五時間

一七・五時間

第三直→第三直

一三・五時間

一四・五時間

直替りの場合

第一直→第二直

二三・五時間

第一直→第三直

三〇・五時間

第二直→第三直

二三・五時間

第三直→第二直

三二・〇時間

第三直→日勤

四八・五時間

第二直→日勤

三四・五時間

日勤→第一直

一四・五時間

日勤→第一直

一四・五時間

前述の勤務編成の内容及び右の表によれば、以下の点を指摘することができる。

a 三六日間連続する日勤日が設けられたことは直勤務から一定期間離れるという心理的な解放感を与え、この期間中通常勤務者と同様の私生活・社会生活を営めるという実際的な利便をもたらすものである。

b 各直勤務に従事する度数は従前と全く同じであるが、疲労度が最も高く、勤務時間の最も長い第三直勤務の時間が一・〇時間、第一直勤務のそれが〇・五時間短縮され、この結果年間の労働時間は九・七八時間、直勤務労働時間は一〇九・六七時間短縮された。

c 同じ直を連続する場合の各直間の時間、特に第三直勤務終業後次の第三直勤務始業までのそれが一時間長くなり、深夜勤務に伴う疲労の回復に資することとなつた。

d 従来は直替りとなる際の各直間の休務時間が比較的短い反面、第三直から日勤勤務に替る間のそれが四八・五時間(休日二日間)と長く、いわば八日間働いて二日間休むような勤務基準であるのに対し、新たな勤務基準においては直替りのすべての場合に三〇時間以上の休日ないし休務時間が配置され、いわば三日間働いて一日休む形となつており、疲労の蓄積を防ぐ上で有用な改善がなされている。

e 年間休日数はなるほどみかけの上では約一五日減少することとなるが、第一直勤務終業後第三直勤務始業までの間に三〇・五時間の休務時間があり、これはいわば「隠れた休日」として実質的には休日と同視されるものというべく、これが年間二四回あるから、休日数の面でも一概に不利となつたと断ずることはできない。

以上の次第であつて、本件業務命令は、総合的にみれば直勤務者の労働条件を不利益に変更したものでは決してなく、業務管理面、労務管理面及び直勤務者の健康管理面にわたつて十分合理性ある内容をもつものであるから、就業規則の変更として有効なものというべきである。

3  (労使間の交渉態度、経過等)

本件ロック・アウトに至る労使間の交渉の態度、経過その他の事情は以下のとおりである。

控訴人は、昭和四二年一一月一八日原研労組に対し、JPDRの直勤務基準の改正について協議を申し入れ、同月二〇日文書をもつて改正案を提示した。その内容は、直勤務を前述の変則五班三交替制により行うものとし、従来設けられていた直交替の際の引継時間(三〇分)の制度を廃止し、休日は年間六七日とするというものであつた。なお、右提案の際、控訴人は当時定期検査中のJPDRの運転再開を昭和四三年一月下旬に予定していた関係で、新基準への慣れを考慮して昭和四二年一二月末を目途に協定、実施に至りたい旨の希望を原研労組に伝えた。

右申入れにより一一月二一日第一回の労使交渉が行われ、控訴人は勤務基準改正の趣旨・理由及びその内容について詳細に説明を行つた。これに対し原研労組は、労働条件に係る問題には何ら発言することなく、控訴人側の交渉員が労務課長以下であることに不満を示し、理事から直接説明することを要求するにとどまつた。控訴人は右要望を容れ同月二八日原子炉部門担当の柳下理事、村主JPDR部次長らが出席する労使懇談会と称する会合を設け、改正の業務上の必要性及び合理性について説明した。同月二九日に第二回交渉が行われたが、原研労組は、右労使懇談会における柳下理事の引継時間の必要性を認める旨の発言を歪曲して捉え、これが引継時間を制度上設けないとする第一回交渉における控訴人の説明と矛盾すると主張し、この議論に終始した。控訴人は、引継時間の必要性を全く認めないというものではないが、従前の勤務の実態に照らし全員一率三〇分を必要とするものでもないので、制度上はこれを廃して、必要に応じて、その都度超過勤務によつて処理することが適当である旨の説明をし、柳下理事の発言と食い違いのないことを述べたが、この交渉はそれ以上の進展をみなかつた。

右交渉の後の昭和四二年一二月六日、原研労組は、控訴人の統一見解を求め、これが表明された段階で改めて交渉を申し出よとの趣旨の申入れ書を提出し、交渉を忌避する態度をとり、控訴人の説得により同月一二日、一三日に第三回及び第四回交渉が行われたものの、控訴人が改正案に対し具体的な質問・意見・対案等を求めたにもかかわらず結局具体的内容の討議に入ることができなかつた。

同年一二月一九日の第五回交渉において初めて原研労組から、引継時間三〇分を制度として存置することは絶対必要であり、また第三直終業の日は「明け」であつて「休み」ではないから日勤日を休みとせよとの具体的意見が提出された。控訴人は、引継時間に関しては前記の所論を更に詳しく述べ、「明け」の点については、現行制度の下においては、第三直終了時から次の第一直就業時までの休務時間が四八・五時間にすぎないので、これを二日の休日と表示することは適当でないと考えられたが、改正案では、第三直終了時から第二直就業時までの休務時間が三二時間に達するので、これを休日と表示することが当然であり、更にこれに加えて日勤日を休日に指定することは、通常勤務者に比べ著しく直勤務者を優遇することになるので、これには応ぜられない旨を原研労組に説明した。

控訴人は一二月二一日に文書で協定締結促進について申し入れを行い、これによつて、同月二五日、二七日第六回及び第七回交渉が行われたが、原研労組は新勤務制度絶対反対の態度を変えず、日勤日の配置、転換方式等本件提案の主要な内容に触れることなく、引継時間、休日数について自己の主張を繰り返し、交渉は何らの進展もみられず、解決の糸口を見出すことは不可能であると判断せざるをえなかつた。一方JPDRの運転再開の時期も切迫してきたので、控訴人は同月二七日前記提案に係る変則五班三交替制を内容とする本件業務命令を発し、翌年一月六日からこれを実施する旨を通告した。

以上の交渉経過を顧れば、原研労組は誠意ある交渉を忌避し続け、控訴人の説得により交渉が行われても、交渉の主題に入ることなく控訴人側の説明、発言に対する揚げ足とりに終始し、交渉の引き延ばしを図り、また控訴人の提案について総合的比較検討に入ることは遂になかつたものである。このような状況の下で交渉が不調に終わつたとしても、その責は原研労組に帰せられるべきであつて、控訴人が本件業務命令に出たことはまことにやむをえないところであつたというべきである。

しかしながら、控訴人は問題を労使交渉により平和的に解決する希望を抱き、本件業務命令を発するに際し、協議の継続を希望する旨を表明し、昭和四三年一月五日第八回交渉が行われたのであるが、原研労組は業務命令の撤回を強く要求し、変則五班三交替制を含む業務命令の内容すべてに絶対反対である旨を表明した。更に、原研労組は、同日JPDRの直勤務制度改正への抗議のために翌六日からJPDRに勤務する組合員等につき無期限ストライキを実施する旨通告した。右ストライキは六日当日に至り、戦術上の理由から急拠二四時間ストライキに変更され、翌七日から新勤務基準による直勤務が行われることとなつたが、一月六日に開かれた第九回交渉、引継時間の要否の応接のみで終り、同月八日の第一〇回交渉においては、原研労組は業務命令の撤回が交渉開始の前提であると強く主張し、また引継時間の問題とこれに関する前記柳下理事発言の食い違い論を繰り返すのみであつた。そして同月一一日、同月二四日、同月二七日、二月六日(第一四回)と交渉を重ねたが、いずれも一月八日の第一〇回交渉においてなされた議論を繰り返すのみで何らの具体的進展をみることはなかつた。一方、右の交渉が行われている間、原研労組は全研究所を挙げての大闘争を準備し、強力な実力行使によつて一挙に控訴人を屈服させるべき機会を狙い、戦端開始の時期を窺つていた。果たせるかな、二月一七日土曜日にかねて計画中であつたJPDRの運転再開が同月二一日と決定されるや、翌週の月曜日である同月一九日に、ストライキ突入のための口実を作るべく、五項目からなる過大もしくは筋違いな要求(<1>直ちに、業務命令を撤回し話合いに応じること。<2>引継時間を制度として全員に三〇分認めること。<3>直勤務者の勤務時間数が通常勤務者より多くならないこと。<4>交替手当を増額し、第一直にもつけること。<5>運転を担当する係を定常的に日勤業務に就かせること。)を提出し、これを控訴人が検討する間もなく、同月二一日を期して無期限部分ストライキ(以下「本件ストライキ」という。)に入り、JPDRの運転再開を阻止したのである。

控訴人は本件ストライキの通告を受けるや、直ちに理事長名をもつて原研労組中央執行委員長にあて自重自戒を求める文書を手交し、事態好転の契機を探るため同月二七日、二八日に交渉を開催し、何らかの解決策を求めたのであるが、原研労組が実質的な協議に応じようとしなかつたため万策尽き、同月二九日本件ロック・アウトの実施を決意し、三月一日以降これを実施したのである。

以上から明らかなとおり本件ロック・アウトに至る労使間の交渉の経過においては一貫して原研労組側に大きな非があつたものといわなければならない。

4  (本件ストライキの目的及び態様)

本件ロック・アウトの正当性の判断に関わるものとして本件ストライキの目的及び態様についてみるに、まずその目的は、従来の原研労組の姿勢に照らし、単にJPDRの直勤務基準という労働条件の維持改善のみにあつたのではなく、控訴人の管理運営に関する権限を掌握するところにその真の狙いがあり、本件ストライキは、その意図を実現するための全所的闘争の拠点作りないし火つけ役に利用すべく行われたものとみるべく、その目的において著しく不当なものであつたといわなければならない。

また、右のような目的に対応して本件ストライキの態様も次のような特質を有するものであつた。すなわち、本件ストライキは、参加者の範囲としては第一直勤務者一〇名に限定される部分ストライキであり、JPDRにおける直勤務の性質上必然的に波状ストライキの形態をとることとなる。そしてJPDRは、原子炉を起動してから所定の出力に達するまでに約一六時間を要するため、第一直勤務者がストライキに入ると第二直の始業時刻(午後四時)から第三直の終業時刻(午前八時)までは一六時間しかないので、その間に原子炉を所定の出力に上げることができず、仮にできたとしても、これに続く第一直勤務者のストライキにより再び運転が停止されることとなり、このような起動、停止を繰り返しても意味をなさず、かえつて温度の上昇、下降を繰り返すことにより炉の圧力容器の寿命を短縮することとなるので、結局第一直勤務者のストライキが継続されれば、JPDRの運転を行うことができないことになる。しかも、本件ストライキ中六名の運転員は保安要員として勤務していたので、第一直勤務者一〇名から六名を減じた僅か四名が毎日ストライキを行うことによつて、JPDRの運転が完全に停止されることとなるわけである。控訴人としては右事態を放置することは許されないので、昭和四三年二月二六日以降JPDR部第四課の日勤班八名に対し第一直の勤務に就くよう業務命令を発し、運転を再開しようとしたが、原研労組は直ちにこれらの者の指名ストライキを実施してこれを阻止し、結局運転再開は全く不可能となつた。JPDRの運転停止によりJPDR部の所掌する業務が実施不可能となり、あるいはその価値を減ずることとなることは次項に詳述するところであり、本件ストライキは原子炉の特性を巧みに利用して原研労組の犠牲はこれを最小にし、控訴人が受ける打撃はこれを甚大にするように意識的に仕組まれた戦術であるというべく、このように労働組合側の僅少な犠牲によつて使用者が甚大な損失を被ることとなるような争議行為は、その態様において公正を欠くものであるといわざるをえない。しかも本件ストライキは無期限ストライキとしてその終了の時期が予定されていないものであつたというだけにとどまらず、その目的が控訴人に徹底的な打撃を与えることによつて全面的にこれを屈服させることにあつたのであるから、原研労組において長期間執拗にこれを行うことを明確に意図していたものであり、これによる組合側の損失が僅か四名の賃金喪失にすぎないこと、また波状ストライキであるが故にその参加者が順次交替することによつて精神的負担も軽減されること等の事情により、主観的・客観的に長期化する条件を備えていたものである。

以上述べたような極めて不公正な目的、態様をもつて行われた本件ストライキは、次項に述べる控訴人の損失、打撃の甚大さと相まち、控訴人に対し一方的な圧力を加えるものであつたといわなければならない。

5  (本件ストライキによつて控訴人の受けた打撃の内容、程度)

控訴人は本件ストライキによつてJPDRの運転を全面的に停止せざるをえなくなつたが、これにより控訴人が受けた打撃の内容及び程度は以下のとおりである。

(一) (1) 控訴人は、原子力の研究、開発、利用の促進に寄与することを目的として設立されたわが国唯一の原子力に関する総合的研究、開発機関であり、JPDRは右の目的遂行実現の一環として導入されたわが国唯一の動力試験炉である。JPDRの設置目的は、従来の研究炉ではできなかつた動力炉の試験運転を行うことによつて<イ>動力炉プラントの運転及び保守に関しての経験を得ること、<ロ>動力炉系の特性を理解するための実験及び試験を行うこと、<ハ>燃料要素の性能試験、舶用炉への応用等を含め各種の研究開発を行うことの三点に要約される。控訴人はこれらの試験研究等を通じて得た成果を学界、産業界に普及し、研究者、技術者を養成して研究、技術水準の向上をはかり、前記設立の目的を実現するものであり、これらの業務の遂行のために投ぜられる資金は莫大なもので、その大部分は国費によつてまかなわれている。

ところで、控訴人は原子力の研究、開発、利用を推進することにより間接的にせよ公共の福祉、国民生活の利益に奉仕すべきものであり、したがつてそこにおいて行われる争議行為による損失、打撃については、私企業におけるとは異なり、業務の遂行を阻止されたこと自体が主たるものとなるのであつて、争議行為によつて直接控訴人が受ける経済的損失のいかんはそれ程重要な意義を有するものではなく、これによる国民生活全体の利益の侵害こそが決定的に重要なものとなる。しかも、研究の事業にあつては、これに対する費用の投下とその成果との関係を予測し、事後的にもこれを対比することに固有の困難が伴うものであり、本件ストライキによつて控訴人が受けた損失、打撃の程度は、これを経済的、数量的に表示することは不可能であるというべく、その研究等の業務の意義、これに投下された費用の大きさ等からこれを判断するほかはない。

(2) 控訴人は、各事業年度毎に、内閣総理大臣の認可を経て作成される事業計画に則り、当該事業年度に実施すべき研究についてその目的、内容、日程等を明らかにした研究計画を策定するが、本件ストライキの行われた昭和四二事業年度の研究計画においては、当時の軽水型動力炉の導入、国産化という国家的政策にそうものとして、JPDR部では、次に掲げる研究テーマを遂行すべきものとされていた。

イ JPDRによる熱水力特性の研究

ロ JPDRによる炉物理及び燃料照射特性の研究

ハ JPDRにおける安全性及び安定性限界の研究

また、これらの研究を効率的に遂行するため外部研究機関との共同研究及び右機関からの受託研究が行われていた。本件ストライキの行われた昭和四三年二月当時これらの研究テーマのもとにJPDRを使用して遂行すべきものとされていた具体的な業務のうち主要なものは次のとおりである。

右イについて、<1>株式会社日立製作所との共同研究による炉心内のボイド(気泡)の測定及び解析研究の一環として、改良された測定計を用いて原子炉燃料体内のボイド測定を行うこと、<2>熱水力特性測定に必要な計測機器の開発の一環として、国産の計装燃料IFA#3を製作し、炉心内に挿入して各種の炉内熱水力パラメーターを測定すること、<3>炉内中性子束を測定するインコアモニターの国産化の一環として東京芝浦電気株式会社との共同研究によつて製作したボロン型電離箱試作二号品及び<4>助川電気工業株式会社との共同研究によつて製作したベーターカレント・セルフパワード・ニュートロンデテクターを炉心内に挿入して、これらの機器の種々の特性試験を行うこととされていた。右ロについては、一次冷却材を強制循環にする等のJPDRII改造工事が昭和四三年秋に予定されていたので、本件ストライキ当時は炉物理特性に関して一次冷却材自然循環下でのデータを集積しうる最後の段階にあり、<5>温度係数、スタックロッドマージン等を測定することとされており、燃料照射特性に関しては<6>国産燃料開発の一環として住友電気工業株式会社及び東京芝浦電気株式会社からの委託により右各社製作のSTA及びTTAを炉内に挿入して高出力密度照射試験を行うこととされていた。右ハについては、<7>安全性の研究のため人工破損燃料を炉内に装荷して、核分裂生成物の放出率測定を行うべきこととされ、また<8>安定性限界を明らかにするため、日本原子力事業株式会社等との共同研究によりJPDRの動特性パラメーター、安定性パラメーターの測定を行うこととされていた。その他、<9>三菱原子力工業株式会社からの委託により可燃性毒物棒を原子炉内に挿入して照射試験を行うこと、<10>東京電力株式会社からの委託により電動弁の動作信頼度に関する調査を行うことが予定されていた。更には、<11>発電プラントを効率的に管理する方策(プラントの最適化対策)を得るため、熱バランスの較正、熱効率の測定等を行つてデータを蓄積すべきこととされており、また、<12>本件ストライキ当時日本原子力発電株式会社との技術指導契約に基づき米国から講師を招きJPDRにおいて同社の敦賀発電所の運転要員の養成実地訓練を行うことになつていた。

以上の試験研究等の業務は、いずれもJPDRが運転されることによつて初めて実施できるものであり、本件ストライキによる運転停止によつてその期間中全く実施不可能となつた。しかして、右試験研究等は、当時急速に増大しつつあつた原子炉構成機器、燃料等の国産化・改良の動きに即応して早急にその成果を得ることが要請されていたものであり、特に昭和四三年二月二一日からのJPDRの運転再開はこれらを実施する上でかけがえのない重要な意味をもつものであつた。その理由は、第一にJPDRは昭和四三年一月下旬に運転再開を予定していたところ、検査の完了が遅延したことによりようやく右二月二一日から再開されることとなつたもので、各試験研究に定められた計画に齟齬をきたさぬようこれを早急に実施すべき必要があつたからであり、第二に、JPDRは同年五月六日から約三箇月間運転を停止して炉底検査を行い、同年一〇月からはJPDRII改造工事に入り、工事に約二年、その後の特性試験等に一、二年を要する予定であつたため、前記試験研究を実施しうる期間が極めて限られていたからである。なお、JPDRII改造工事の開始はその後原子炉圧力容器の健全性に関する安全審査の関係で大幅に遅延することになつたが、最終的に同年一〇月から工事に着手することが不可能であると判断されるに至つたのは同年七月頃であつたのであり、本件ストライキ当時には右遅延は全く予測できなかつたものである。

右試験研究等の業務の阻害は、控訴人にとつて非常に大きな痛手であるばかりでなく、国家的にみても大きな損失となるものであり、更には、前記共同研究等の外部関係機関との関わりのある業務を実施できなくなつたことによりこれらの機関の業務計画に大きな支障を与え、控訴人の対外的信用を大幅に失墜させるものであつた。なお、前記試験研究は、それが長期にわたる研究であるという意味で被控訴人らのいうように年単位の研究といつてもよいが、JPDRの年間稼動率が三〇%弱でその運転期間が年間九〇日程度と極めて限られていた以上、本件ストライキが右試験研究に与えた支障の程度は一〇日間とはいつても極めて大きいものがあるといわなければならない。

(二) JPDR部には、第一課ないし第四課が置かれ、これらはJPDRを運転し、これにより各種試験研究等を行うための有機的な分業、協業の関係にある。このような有機体であるJPDR部各課等の業務は本件ストライキにより次のような影響を受けた。

第四課は、その第一係から第五係までがそれぞれ直勤務の一班をなし、JPDRの運転を担当するものとされていたのであるから、本件ストライキによる運転停止により補機の運転等保安のためのもの以外の業務は全くなくなつたことが明らかである。第三課は、JPDRの機械設備、電気設備、計装設備関係の保守に関する事項を主として担当することとされているが、当時定期検査を完了し、設備機器の点検整備及び修理を終えていたのであるから、同課所属の従業員が運転停止期間中に処理すべき業務はほとんどなくなつていたものであり、仮に補機等に故障が発生することはあつても、その数は僅かであり、またいつ運転が再開されるか不明な情勢にあつてはこれをその都度修理することは効率的な業務の処理とはいえない。第二課は各種試験研究及び技術管理を分掌するところであり、本件ストライキによりこれらの試験研究の大部分の実施が不可能となつたことは前述したとおりであつて、その業務が大幅に減殺されたことはいうまでもない。第一課はJPDR部の庶務を担当するところであるが、その業務は他の課の業務が正常に営まれて初めて生ずるものであるから、その停廃に伴い大幅に減殺されることになつた。また保健物理安全管理部放射線管理課動力試験炉管理係はJPDRの運転に係る放射線管理を担当することとされているが、この業務もJPDR部各課のそれと同様大幅に減殺され、又は本来意図する業務ではなくなつた。なお、被控訴人ら主張のように、JPDRにおいて過去何度か運転停止があり、年間稼動率が三〇%を下廻つていたことは事実であるが、これらの運転停止は、定期検査、燃料交換、実験準備等のため計画的に、あるいは故障又はその修理等のため必要に応じて行われるものであつて、停止中であつても各課とも業務を予定されているのに対し、ストライキによる運転停止は控訴人の業務遂行の必要性に基づくものでなくいわば使用者の業務指揮から離脱してJPDRが停止されるのであるから、両者を同列に論じることのできないことはもちろんである。

前記4で述べたように本件ストライキは、第一直勤務者全員(一〇名)を対象とするものの、補機の運転等保安業務のため六名の保安要員が提供されたので、実際に労務を提供しない人員は四名にすぎず、原研労組は、本件ストライキによつて一日につき僅か四名分の賃金約七〇〇〇円を喪失するという打撃を被るのみであるのに対し、右に述べたところから明らかなようにJPDR部等所属の組合員の提供する労務は全く不必要又は無価値なものとなり、控訴人はこれに対して一日につき一九万七〇〇〇円の賃金の支払を余儀なくされることとなつたのである。

(三) 以上のほか、控訴人はJPDRの運転による発電によつてまかなつていた東海研究所内の消費電力を外部から購入せざるをえなくなり、かつ余剰電力の売却による収入一日約五〇万円を失うことともなる。

(四) 以上の次第であつて、本件ストライキにより原研労組の受ける損失は全く微々たるものにすぎないのに反し、控訴人の被つた損失、打撃は極めて甚大なものがあるというべく、しかも原研労組は控訴人の本件ロック・アウトに対抗して戦術的に本件ストライキを一〇日間で中止したにすぎず、右中止の時点においてもストライキ継続の意思を有し、またこれを継続しうる状況にあつたことは先述のとおりであり、かくては控訴人の受ける以上(一)ないし(三)の損失、打撃は日を追うにつれ深刻さを増し回復不可能のものとなり、控訴人の存立の意義すら問われるような事態に立ち至るおそれがあつたのである。

6  (要約)

以上2ないし5に述べたところを要約すれば、本件労働争議の端緒、原因となつた本件業務命令は適法、有効なものであり、本件ロック・アウトに至る労使間の交渉経過においても控訴人には何ら非難されるべき点がなく、事態を紛糾せしめた責は挙げて原研労組が負うべきものである。しかして本件ストライキは過大な要求を掲げ、かつ不当な目的を有するもので、その態様においても著しく不公正なものであつたのであり、これによつて控訴人はJPDRの運転を全面的に停止することを余儀なくされ、その結果控訴人が受けた打撃の程度は極めて甚大なものがあり、労使の力関係は組合に圧倒的に有利に、控訴人に決定的に不利に傾いたことは明白であつた。このような状況の下において、控訴人は原研労組の不当、不公正な本件ストライキによつて失われた著しい力の不均衡を回復するため、右ストライキに対する対抗防衛手段として本件ロック・アウトを実施したものである。したがつて、本件ロック・アウトは被控訴人らが主張するように本件ストライキを排除して本件業務命令を強行し、ロック・アウトによる力を背景に原研労組をして四班三交替制を採用する労働協約を締結させることを本来の目的としたものでは全くない。よつて、前記1において述べた法理により、本件ロック・アウトは、衡平の見地から見て労働者側の争議行為に対する対抗防衛手段として相当なものであり、その開始において正当であつたというべきである。

なお、およそ部分ストライキに対抗して行われるべきロック・アウトの範囲については、部分ストライキが行われた当該職場に限定されるか、あるいは部分ストライキによつて影響を受けるべき関連職場に対しても許されるかについては問題が存するところであるが、本件においては、JPDRの運転停止により、JPDR部第四課の業務はもとより、同部第一課から第三課までの業務の価値も著しく減殺され、これらの業務に対する労務の提供を受けたとしても債務の本旨に従つた履行を期待しえず、不完全履行とならざるをえないことは、右5、(二)において述べたところから明らかである。してみれば、債権者たる控訴人は、このような履行の提供を受領すべき義務はなく、少くともこれを受領しないことによる何らの責を負うものではない。しかも、本件の場合原研労組が争議行為として右のような結果の発生を意図し、これを惹起せしめたのであり、この争議行為に対する対抗防衛手段として本件ロック・アウトが行われたのであるから、JPDRの全職場をその範囲としたことは、当然許容されるものである。よつて、本件ロック・アウトは、その範囲においても正当である。

7  (本件ロック・アウト継続の正当性)

ロック・アウトの正当性は、その開始の際必要であるのみならず、これを継続するについても必要とされるところ、原研労組が昭和四三年三月一日午後一時から本件ストライキを解除する旨通告し、同月四日には就労申入れをしてきたにもかかわらず、控訴人が同月二二日午前八時まで本件ロック・アウトを継続したのは、次の理由による。

原研労組の闘争方針は、従来の例に見られるように要求貫徹まで長期に波状的に、柔軟な戦術をもつて徹底的に戦うのが特徴であつて、本件ストライキも同様の経過をたどつており、現に本件ロック・アウトを開始した三月一日には研究用原子炉(JRR―2、3)において時限ストライキ、大洗支部において指名ストライキを実施し、翌二日には午前一一時から一時間の全面ストライキを実施すべく準備中であつた。ところで原研労組は、昭和四二年九月一九日の第六回中央大会においてスト権を集約して闘争態勢をとつており、またJPDRに関する闘争を控訴人の人員合理化方策に対する全所的闘争の拠点であると公言し、長期にわたつて闘争を展開することを予定していたものであり、本件ストライキを解除したものの、右のような闘争態勢を解いたわけではない。しかも控訴人は組合からストライキの解除通告を受理した時にそれが労働組合の一般戦術にならつたものであると感じたので、組合に対し、右解除がその真意によるものであるかどうかを問い質したところ、組合は回答を避けた。したがつて控訴人としては、組合がロック・アウト解除後、再びストライキを行う意志がないとうけとるわけにはいかなかつた。控訴人はロック・アウト実施後も事態を円満に解決すべく組合に対し、さらに懸案事項についての折衝を申し入れ、同年三月一日折衝を行つたが組合は依然前示五項目の要求貫徹を固執し、その態度は極めて強硬なものがあり、控訴人としては、原研労組が争議行為意思を放棄し、交渉によつて問題の解決を図ることにその方針を変更したものとは到底認めることができなかつた。

以上のようにスト解除の通告があつたからといつて、ロック・アウトを解除するときはまたまたストライキの実施によつて莫大な損害を被るおそれがあつたのであり、控訴人のおかれている社会的立場からいつても原研労組のスト解除通告に応じて軽々しくロック・アウトを解除することは許されないと判断したので、原研労組がもはやストライキに突入することはないとの情勢判断が得られるまではこれを維持したのである。もとより控訴人は、その使命と立場にかんがみ、組合との交渉をできるだけ行つて事態を解決すべく同年三月二日以降も事務折衝ないし団体交渉を行つたが、原研労組は容易に交渉に応ずる態度を示さずまた話合いに入つても従来の強硬な態度を維持し、ともすれば険悪な空気が漂う状況であつた。同月一九日に至り控訴人が事態の円満な解決のため、原研労組に対し譲歩案を提示して交渉の早期妥結方を申し入れた結果、ようやく変則五班三交替制の採用、一五分の引継時間の制度化、休日数等について合意に達し、ここにおいて原研労組の争議行為意思の放棄が認められるに至つた。そこで控訴人は翌二〇日が春分の日に当たり、その翌日は就労受入れの準備期間として必要であつたため、同月二二日午前八時をもつて本件ロック・アウトを解除したものである。

以上によれば、本件ロック・アウトはその継続についても正当であることが明らかである。

三  控訴人の主張に対する被控訴人らの認否

1  控訴人の主張1は争う。ただし、昭和五〇年四月二五日の最高裁判所の示したロック・アウトの法理はこれを争わない。

2  (一) 同2、(一)については、(1)の事実及び(2)のうち控訴人が昭和三九年四月一日付で制定した規則を同月一六日以降JPDRの直勤務者に適用したことは認めるが、その余は争う。

控訴人と原研労組間の協定書はすべて控訴人側を代表する理事長と原研労組を代表する執行委員長との間で作成され、了解事項はほとんど職員課長と書記長との間で作成されている。このように労働条件を労使で協議・決定する際に、基本的な事項については協定書の形式をとり、これに大綱を定められた労働条件を実施するために了解事項で細目を定めるという方式は本件労使間で確立された慣行である。そして了解事項の存続期間が比較的短いのは、控訴人の労働協約無視の事例が従来から多く見られたため、期限を切つて施行しないと控訴人が協約どおりの実行を怠ることをおそれたからであつた。したがつて、基礎となる労働協約である協定書の存続期間が定められず、その施行細則である了解事項が短い存続期間をもつて次々と結ばれる場合、協定書が了解事項の期間満了にかかわりなく存続することは労使間において当然の前提とされていたものである。また、右協定書、了解事項のいずれもが労働組合法第三章に定める労働協約であることはもちろんであるが、その作成にあたる労使の代表者の相違からみて、前者を本協約、後者を付属協約とみることができるところ、この場合、付属協約たる了解事項の存続期間が本協約たる協定書の定めに従属することはあつても、逆に前者の存続期間の定めによつて後者の存続期間が制約されることはありえないはずである。したがつて、本件両協定は期間の定めのない労働協約として、それ自体につき解約の手続がとられるまで有効に存続するものとみるべきである。

しかして、昭和三八年一一月一六日付了解事項は本件両協定をうけてその付属協約として従前の一〇月一八日付了解事項の存続期間を延長するもので、その満了の際には再び付属協約を新たに締結することを予定していたものであるところ、右期間が満了する昭和三九年三月下旬に至つて労使間に直勤務手当をめぐつて紛争が生じたため、新たな了解事項の締結に至らなかつたのであるが、控訴人は同年四月一六日以降前記規則をもつて本件両協定の施行細則とすべくこれをJPDRの直勤務者に適用したのである。

(二) 同2、(二)の主張について。原審において控訴人は、被控訴人らの「昭和四二年一二月二七日の本件業務命令は昭和三八年五月三日付及び本件両協定に定められた五班三交替制を四班三交替制に変更しようとするものである」との主張に対し、右業務命令の内容が四班三交替制を定めるものであることは認めていたものであり、当審において右が変則五班三交替制を定めるものであると主張することは自白の撤回にあたるものとみるべきである。そして、原審における控訴人の主張は事実をありのままに述べ、しかも随所に証拠を引用しながら展開したもので、それが真実に反しかつ錯誤に基づいてなされたものとは到底認められないから、その撤回は許されない。

同(1)については、各了解事項及び規則で定められた五班三交替制の具体的勤務編成が控訴人主張の表のとおりであることは認める。五班三交替制が採用された実質的な理由として控訴人の主張するところもおおむね認める。

同(2)は争う。五班三交替制は昭和四一、四二年当時もなお合理性を有していたものであるが、控訴人は本件業務命令によりこれを変更して、四つの班のみが直勤務に服する純粋の四班三交替制(その勤務編成は控訴人主張の表からE班の欄を除いたものである。)を定め、これを実施したものである。また、控訴人が昭和四二年当時直勤務態様の変更を意図した理由は、(イ)控訴人は当時大洗研究所の材料試験炉(JMTR)の運転要員及びJPDRIIの建設要員を確保する必要に迫られていたが、予算上増員が認められない状況にあつたので、JPDRの運転員を五班から四班に減らして余つた人員をこれにまわす計画を立てていたこと、(ロ)直勤務者の労働条件が通常勤務者のそれと均衡がとれていないことを口実に直勤務者の労働条件を切り下げようと考えていたこと、(ハ)監督官庁である科学技術庁や電力会社などから四班三交替制の実施を迫られていたことの三点にあつたのであるから、控訴人のいう変則五班三交替制の採用などの生ずる余地は全くないことが明らかである。もつとも、昭和四三年一月以降実施された新たな勤務体制において、現実には五つの班がそのまま存置され、三六日毎に日勤班が直勤務班の一つと入れ替わることのあつたことは事実であるが、それは制度として確立されたものでなく、その都度発せられる業務命令によつて、いわば管理者の意思一つで入れ替えがなされたにすぎないのであるから、これをもつて五班三交替制の一態様とみることはできない。

同(3)は争う。本件両協定に基づく了解事項及び規則で定められた五班三交替制とは単に五つの班が置かれているというだけの勤務態様をいうのではない。一〇日のうち二日の日勤日を除いては五つの班すべてが交替で直勤務を継続する実態があつて初めて五班三交替制といえるのであり、これと異なり一二日を一周期とする勤務割の中で、交替で連日直勤務に従事するのは四つの班だけで残り一班は一箇月余の間一切直勤務に服することのないような勤務態様は、従前実施されてきた五班三交替制とは全く異なるものといわなければならない。

(三) 同2、(三)については、「労働条件の異同」表中「従前の労働条件」欄はすべて、「業務命令により実施した労働条件」欄のうち「各直当たりの労働時間」欄及び「直間の時間」欄は認めるが、その余はすべて否認する。

控訴人が本件業務命令において意図したところは、労働条件の面についていえば、直勤務者の労働条件を通常勤務者のそれと均衡化させること、具体的には前者を改悪することにあつたのである。すなわち、従前の労働条件と本件業務命令(四班三交替制)によるそれとの異同は次表のとおりである。

労働条件の異同

従前の労働条件

(五班三交替)

業務命令

(四班三交替)

年間労働時間

二〇五〇・七二時間

二〇五九・〇三時間

年間休日数

明け

三六・五二五日

三〇・四三八日

休日

五〇・〇四七日

四〇・一六九日

合計

八六・五七二日

七〇・六〇七日

年間各直勤務度数

I直

七三・〇五〇日

九一・三一三日

II直

七三・〇五〇日

九一・三一三日

III直

七三・〇五〇日

九一・三一三日

日勤

五九・五二八日

二〇・七〇三日

年間夜間勤務時間(拘束)

(一八時~翌日八時)

一〇二二・六七時間

一二七八・三五時間

直引継ぎ時間

三〇分

〇分

右の表からも明らかなように、本件業務命令により、労働条件は以下のとおり大幅に改悪されることとなる。

a 年間労働時間は約八時間増加する。また、従前同様三〇分の引継時間を存置するとすれば一四五時間の増加となる。

b 年間休日数は「明け休み」(第三直勤務の終了する日)で約六日、「休日」で約一〇日、合計約一六日の減少となる。なお、控訴人は新勤務体制の下では右「明け休み」を「休日」と称して休日数の水増しをはかつている。

c 各直の勤務度数は各直とも一八回、二五%の増加となり、日勤日は三九日減少し、ほとんど一年中変則勤務に服さなければならなくなる。

d 夜間勤務時間が二五六時間、二五%も増加する。

e 最も激しい勤務である第三直を三回続けなければならず、また逆転換方式のため身体のコンディションが狂いやすくなる。

f 原子炉の安全な運転管理のために必要な直引継時間三〇分を廃止している。右廃止は休日数の減少に伴う出勤日数の増加により勤務時間が約一一〇時間増加するのを抑えるために行われたものである。

なお、控訴人主張の変則五班三交替制についても右b、e、fの点は全く同じであるほか、年間労働時間は二〇五二・五二時間となつて一・八時間増加する。また、従前の五班三交替制においては一〇日間に二日ずつ直勤務から離れ、通常の生活を営むことが可能であつたが、右変則五班三交替制の下では約五箇月間反生理的な直勤務に服し、六箇月目に至つてようやく通常勤務となる点において大きな犠牲を強いられることになる。

3  同3については、控訴人が原研労組に対し昭和四二年一一月一八日直勤務基準の改正について協議を申し入れ、同月二〇日文書をもつて改正案を提示したこと、その内容が直勤務を変則五班三交替制によるとする点以外は控訴人主張のとおりであること、同月二一日を第一回として昭和四三年二月六日までの間に控訴人主張の日に労使交渉及び労使懇談会と称する会合が開かれたこと、昭和四二年一二月二七日控訴人が本件業務命令を発し、翌四三年一月七日から新勤務基準による直勤務が行われるに至つたこと、原研労組が同月五日直勤務制度改正への抗議のため翌六日から無期限ストライキを実施する旨通告し、右当日二四時間ストライキに変更してこれを実施したこと、原研労組が同年二月一九日五項目の要求を提出し、同月二一日から本件無期限部分ストライキを実施したことは認めるが、その余は争う。

控訴人は、昭和四二年一一月一八日前記協議を申し入れた当時から一二月末には改正案を実施することを不動の方針とし、協議が整わない場合には業務命令でこれを実施する考えであつた。したがつて、その後の労使の交渉もおよそ団体交渉と称するものではなく、決裁権限のない者による単なる説明会にすぎず、対案を提示するとか、修正に応じるとか、説明のための資料を提供するとかのことは全く行われず、控訴人の態度は到底誠意を尽くしたものとはいえなかつた。控訴人は本件業務命令を実施するための形を整えるだけの交渉を行い、既定方針どおりこれを実施したというのが偽らざる真相である。また、本件業務命令実施後の経過においても、原研労組の要求にもかかわらず責任ある立場にある理事出席の団体交渉は一度も開かれず、たまにもたれる事務折衝には労務課長と同課員が出席するだけで、業務命令の内容の説明に終始し、組合側が強く主張していた三〇分の引継時間制度の存置については必要な時に必要な人員で必要な時間を超過勤務で行えば足りるとの態度を変えなかつた。そして、控訴人は原研労組が従来主張してきた五班三交替制にこだわらず、従前の直勤務班五班のうち一班を日勤班として常置することを協定書に明文化することを主張したのに対してもこれを拒否し、原研労組としては違法な業務命令が定着し、その内容どおりの協定化の押しつけが強まるなかで、誠意ある団体交渉による解決の見通しも全くないまま推移していつたのが実情である。

4  同4については、本件ストライキ中六名の運転員が保安要員として勤務したこと、控訴人が昭和四三年二月二六日以降JPDR部第四課の日勤班八名に対し第一直の勤務に就くよう業務命令を発し、原研労組がこれらの者の指名ストライキを実施したことは認めるが、その余は争う。

控訴人は組合からの再三にわたる団体交渉申入れにもかかわらず、二月に入つてからは事務折衝すら一回しか開かず、原研労組が従来の主張に固執しない柔軟な姿勢を示したにもかかわらず、本件業務命令どおりの勤務態様に固執して譲らなかつた。一方本件業務命令に定められた引継時間三〇分の廃止のまま炉の運転がなされれば、炉の安全性に多大の不安を伴うこととなる。本件ストライキは右のような状況の下において、直勤務者の労働条件の根幹にかかわり、かつ安全を維持するための最低の要求をみたすためにやむにやまれず行われたもので、その目的において正当なものであつたことは明らかである。また、本件ストライキはその態様においても正当なものであつた。すなわち、原研労組が第四課員のうち第一直勤務者のみをストライキに入らせたのは、同課の業務に与える影響を最低限に少なくすることと、職場に混乱が起きないように配慮したためである。のみならず、原研労組はスト突入に際し控訴人と争議協定を結び、保安要員を置くなどして安全性には最大限の努力を払つている。また、本件ストライキはその期間中何らのトラブルの発生もなく、組合がビラ貼り、旗、のぼり類を立てるなどの行為もなく平穏そのものに行われたのである。

5  (一) 同5、(一)は争う。仮に本件ストライキが控訴人主張の各種試験研究に何らかの支障を与えた事実があつたとしても、右試験研究はそのほとんどが三、四年間にわたつて継続的に計画実施されるもので、いわば年単位で研究成果が蓄積されるものであるから、ストライキで一〇日間研究ができなかつたからといつて、それは研究が一〇日間伸びたというだけのことであり、しかも年単位で考えれば全く微々たるものでしかない。また、JPDRの稼動率は従来から三〇%弱と低く、しばしば長期の運転停止を繰り返していたのであり、このため従来から控訴人主張の試験研究は計画どおり進行していなかつたのである。昭和四三年に入つてからも定期検査の工程の遅れという控訴人側の事情によつて同年一月一日から二月二〇日までの五〇日間は運転できず。同年三月一日から同月二一日までの二一日間は本件ロック・アウトにより、同年五月中旬以降は原子炉圧力容器破損に関する検査のために停止されていたのであつて、右停止期間と比較すれば本件ストライキによる一〇日間の遅延はこれまた些細なものでしかない。更には右のように控訴人の都合でJPDRが度々長期間停止し既にこれにより研究の遅延していたことを棚に上げて本件ストライキによる炉の停止のみをとらえ、研究の遅延等の業務阻害を云々することは公平の理念に反するものである。また、JPDRIIの改造工事の着手は原子炉圧力容器の安全審査のため遅延することが昭和四二年の段階で既に予測されていたのであり、実際には昭和四三年三月から安全審査が開始され、一年半を経て昭和四四年九月審査を通過してようやく改造工事の着手がなされたものであり、したがつて右着手までの間、JPDRを使用して控訴人がその必要性を強調する試験研究を行う時間的余裕は十分にあつたわけである。控訴人主張の<12>の養成実地訓練については、右訓練はもともと昭和四三年三月一日から行われる予定であつたところ、本件ロック・アウトにより同年四月一日からに変更されたものであるから、本件ストライキとは無関係というべきであるし、また右は初歩的なものであつて、JPDRが運転されていなければ訓練の目的が達せられないものでもなかつた。

(二) 同5、(二)について、JPDR部各課及び保健物理安全管理部放射線管理課動力試験炉管理係の職務分掌が控訴人主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

JPDRは、もともと設置以来停止していることが多く、半年から長いときは一年位停止することもある炉であり、仮にその停止により右各課及び係の業務がなくなるとすれば、JPDR設置以来従業員のほとんどは仕事がなかつたということになるはずであるが、そのようなことが常識としてありえないことは明らかである。第三課の業務については、定期検査終了後であつても日常点検業務は必要であつて本件ストライキ中も現に行われており、また定期検査中にできなかつた故障の修理やその後発生した故障の修理も行われ、この他に修理業務と並行して老朽機器の更新、計測器の改良のための各機器の設計、見積り、発注業務も行われていた。第二課についても、JPDRが停止すればそこから得られる情報はなくなるが、それがなくなつても技術的、研究的な仕事がなくならないことはその性格からいつて当然のことであり、具体的には、TCA(軽水臨界実験装置)勤務者の業務は存在したし、昭和四三年三月二五日に開催される日本原子力学会にむけて研究成果発表の準備が行われていた。第一課の庶務の仕事が運転停止にかかわらず存在することはその業務の性格上当然のことであり、前記係についても、通常勤務者がストライキ中も勤務し、炉の停止中であつても必要とされる業務を行つていた。

6  同6は争う。本件ロック・アウトは、原研労組が四班三交替制による直勤務の実施を内容とする本件業務命令の撤回を目的として実施した本件ストライキを断念させ、かつロック・アウトによる力を背景に四班三交替制の労働協約を締結させることを意図して行われた違法なものである。本件ストライキは、違法な業務命令を強行実施せんとする控訴人の攻撃に対して、原研労組が辛うじて自己の存在を保持するため最後の手段として行つたものであるから、本来使用者側の「対抗防衛」などを云々する余地はない。また、本件ロック・アウトはあくまでも自己の主張を貫徹するため更に一段と強暴な手段に出たものであつて、そもそも控訴人のいうような「労使間の勢力の均衡を回復するため」という場合に該当しないことは明らかである。

7  同7については、原研労組が昭和四三年三月一日研究用原子炉において時限ストライキを実施したこと(ただし、本件ストライキ解除前の午前中に実施したものである。)、同月一九日の交渉において労使がほぼ了解に達し(ただし、勤務態様については四班三交替制を採用することで。)、同月二二日午前八時をもつて本件ロック・アウトが解除されたことは認めるが、その余は争う。控訴人が本件ロック・アウトを継続した理由として主張するところは合理的根拠に乏しく、かつ原研労組に対する予断と偏見に満ちた独善的なものである。右継続の真の目的は、JPDRの直勤務態様を四班三交替制とすることにつき原研労組の同意を得ようとしたことにあつたのである。

第三証拠<省略>

理由

一  控訴人は、昭和三〇年一一月三〇日発足した財団法人原子力研究所が日本原子力研究所法に基づき昭和三一年六月一五日特殊法人日本原子力研究所となつたものであり、原子力基本法の趣旨に従い原子力の開発に関する研究等を行うことを目的とし、主たる事務所(本部)を東京都港区新橋一丁目一番一三号に、従たる事務所(研究所)を茨城県那珂郡東海村、高崎市、茨城県東茨城郡大洗町、大阪等に有し職員約二〇〇〇名を擁するものであること、被控訴人らがいずれも東海研究所内のJPDR部及び保健物理安全管理部に所属し、昭和四三年三月一日から同月二一日までの間JPDR施設に勤務していた職員であり、控訴人の職員で組織されている原研労組の東海支部の組合員であること、JPDR部においては、一日二四時間を三分し、職員が交替で勤務することによつてJPDRの連続運転が行われているが、この三分された各勤務時間帯を直といい、このような勤務体制を直勤務と称し、第一の勤務時間帯を第一直、第二のそれを第二直、第三のそれを第三直と称していること、控訴人が昭和四二年一二月二七日昭和三九年規則第二号「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」中のJPDRの直勤務に関する部分を改正した上、JPDRに勤務する組合員に対し昭和四三年一月六日以降新たな直勤務体制に服すべき旨の本件業務命令を発したこと、原研労組が昭和四三年一月六日JPDR部の一部組合員によるストライキを実施し、更に同年二月二一日からJPDRの第一直勤務者一〇名による本件ストライキを実施したこと、控訴人が同年三月一日午前八時から同月二二日午前八時までの間JPDRに勤務する組合員に対し本件ロック・アウトを実施したこと及び原研労組が同月一日午後一時本件ストライキを解除し、控訴人に対し就労を要求したことはいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件ロック・アウトが正当性を有する旨の控訴人の主張について判断する。

1  当裁判所も控訴人引用の最高裁判所の判決の趣旨に従い、使用者の争議行為の一態様たるロック・アウトが正当なものとして是認されるかどうかは、個々の具体的な労働争議における労使間の交渉態度、経過、組合側の争議行為の態様、それによつて使用者側の受ける打撃の程度等に関する具体的諸事情に照らし、当該ロック・アウトが、労働者側の争議行為により使用者側において著しく不利な圧力を受けることになるような場合に行われたものであつて、衡平の見地から見て労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段として相当なものであると認めることができるかどうかによつてこれを決すべきものと解するものである(なお、右にいう「労働者側の争議行為により使用者側において著しく不利な圧力を受けることになる場合」が、「企業の目的の達成が阻止された場合」その他控訴人の挙げる諸場合に限定されるものと解すべきでないことも控訴人の主張するとおりである。)。したがつて、本件ロック・アウトの正当性の判断は、本件労働争議における右に掲げたような具体的諸事情について検討した上でなされなければならない。

そこで、以下控訴人が2ないし5として主張するところを順次検討することとする。

2  前記一認定の昭和四三年一月六日のストライキから本件ストライキを経て本件ロック・アウトに至る控訴人と原研労組間の争議は、JPDRの直勤務態様の変更を内容とする本件業務命令を端緒とし、その実施をめぐつて展開されたものであるから、控訴人が2において主張する本件業務命令の適法性ないし有効性いかんが本件ロック・アウトの正当性を論ずるための具体的事情として重要な意義をもつことはいうまでもない。

(一)  控訴人がその主張2、(一)の(1)において主張する各協定及び了解事項の締結等の経過並びに同(2)のうち控訴人が昭和三九年四月一日付で制定した控訴人主張の規則を同月一六日以降JPDRの直勤務者に適用したことは当事者間に争いがない。

そこで、本件業務命令当時、控訴人と原研労組間に、JPDRの直勤務に関し五班三交替制によるべきことを定める本件両協定(原審証人高島教一郎、同坂元昌隆、同月田七雄、同菊池務の各証言によると、控訴人が昭和三八年七月に至りJPDRの完成引渡の予定が当初の同年九月二六日よりも遅延する見通しとなつたことを理由に同年五月三日付協定の定める五班三交替制の実施時期の繰り下げを求めたことから、労使間に紛争を生じた結果、本件両協定の締結に至り、右実施時期を従前同様の九月二六日と再確認したという経緯が認められるから、右五月三日付の協定は、九月二六日以降JPDRの直勤務を五班三交替制によるものとする部分に関する限り、本件両協定と重複するものとしてその成立と同時に黙示の合意により失効したと解すべきである。)がなお効力を有していたか否かを考えるに、本件両協定がそれ自体としては期間の定めのない労働協約であることは当事者間に争いがなく、これについて労働組合法一五条三項に定める解約手続のとられた事実のないことは弁論の全趣旨により明らかである。しかして、本件両協定中五班三交替制を定める部分とその後に成立した昭和三八年九月一七日付を初めとする各了解事項との関係については、成立に争いのない甲第一号証の二、乙第六号証の八、一〇、一二ないし一六、原審証人坂元昌隆の証言によつて成立の認められる乙第三〇号証及び右括弧内に掲げた各証言を総合すれば、右両者はその表題が「協定書」、「了解事項」と異なることはもちろん、当事者たる控訴人及び原研労組を代表する者が本件両協定においては理事長及び執行委員長であるのに対し、右各了解事項においては職員課長ないし事務部次長及び書記長となつていること、従来から控訴人と原研労組間には基本的な事項を理事長と執行委員長が各当事者を代表して「協定書」の形で定め、そこで定められた大綱に従い実施に必要な細目を職員課長ら事務担当者と書記長との間でかわされる「了解事項」によつて定めるという例が多く、本件両協定及び右各了解事項も右の例と格別その趣旨を異にするものとは思われないこと、控訴人は本件両協定締結当時、同年九月二六日以降もできれば四班三交替制によつて直勤務を実施したいとの希望をもつていたことは事実であるが、当時の労使関係やJPDRの運転開始直後の勤務態様としては五班三交替制にも十分な合理性があるとの判断から、原研労組の要求に応じて右各協定の締結に及んだのであり、原研労組はもちろん控訴人としても早急に五班三交替制を改めるつもりはなく、少なくとも数年間はこれを継続する意思を有していたのであり、前記のように存続期間の短い了解事項を次々と締結したのは主として直勤務手当の額をその都度定める必要からであつたことが認められる。これらの点に照らせば、本件両協定中前記部分は基本協定としてそれ自体期間の定めなく存続するものであつて、前記各了解事項は右基本協定に定められた大綱に従つて実施に必要な細目を期間を限つて定めるものであり、控訴人が主張するように、後者もまた独立の労働協約であり、前者が後者の成立と同時にその中に解消されて適用の余地がなくなり失効するという関係にあるものではないとみるべきである(前記乙第六号証の一二ないし一六によれば、右各了解事項には「本件両協定に基づき」という文言がなく、また本件両協定と同様右各了解事項にも五班三交替制による旨の文言が掲げられていることが認められるが、このことは両者の関係を控訴人主張のように解さなければならない根拠としてさほど重要な意味をもつとは思われない。)。また、右に認定したところによれば、了解事項により具体的な労働条件の取り決めがなされない限り、本件両協定のみでは五班三交替制による直勤務を現実に実施することのできないことは否定できないところであるが、さればといつて了解事項の存続期間が満了し、これに代わる取り決めがなされないときは直ちに基本協定たる本件両協定そのものが効力を失うに至るものと解することもできないというべきである。そして、本件両協定に基づく了解事項がもはや存在しないこととなつた昭和三九年四月の時点における事情をみるに、前記乙第六号証の一四ないし一六、成立に争いのない甲第二号証、原審証人内藤俶孝の証言によつて成立の認められる乙第三三号証の一ないし三、右証人、原審証人高島教一郎、同菊池務、同月田七雄の各証言を総合すると、前記各了解事項のうち昭和三八年一一月一六日付の了解事項は同年一〇月一八日付のそれの定めを昭和三九年三月三一日まで延長するものであつたところ、同年四月一日以降の直勤務の実施については、同年三月三一日に至る労使間の折衝にもかかわらず了解事項の締結に至らなかつたのであるが(同年四月二日付了解事項は臨時的直勤務に関するものである。)、これは原研労組が従前の了解事項と同一条件によることを主張したのに対し、控訴人が直勤務手当について改訂を強く主張したため、結局具体的労働条件の全般につき合意が成立しなかつたことによるもので、当時五班三交替制の存続自体には双方異議がなかつたこと、原研労組所属のJPDR運転員等は同年四月一日には直勤務に服すべき具体的よりどころがないとして通常勤務に就いたが、同月二日成立し実施された右臨時的直勤務に関する了解事項及び同月一六日から実施された前記規則にはいずれも従前の了解事項と同一内容の五班三交替制による直勤務編成が定められ、右運転員等も何らの抵抗もなくこれに従つて直勤務に服したことが認められ、以上の事実と前記各証人の証言をあわせ考えれば、右当時控訴人及び原研労組はひとしくJPDRにおける直勤務の実施について従前どおり五班三交替制を維持する意思を有し、右四月一六日以降は前記規則が従前の了解事項に代わつてその実施に必要な具体的労働条件を定めるものと認識していたことを認めることができ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の次第であつて、控訴人と原研労組間には、JPDRの直勤務に関し五班三交替制によるべきことを定める本件両協定が、昭和三九年四月一日以降もその効力を失うことなく、同月一六日以降は前記規則が実施に必要な細目を定めるという形で存続してきたものというべきであり、控訴人の主張2の(一)は採用することができない。

(二)  そこで進んで本件業務命令が五班三交替制の一態様たる変則五班三交替制を定めるものであり、本件両協定に違反するものではないとの控訴人の主張2の(二)について検討する。

被控訴人らは、原審において控訴人は本件業務命令が四班三交替制を定めるものであることを認めていたから、当審に至つて右のような主張をすることは自白の撤回にあたるとして異議を述べるけれども、本件記録によると、控訴人の原審における準備書面中には控訴人のいうように解されないではない部分も存在するが、その主張を全体としてみれば、控訴人が原審以来本件業務命令の内容は変則五班三交替制を定めるものであると主張していたことは明らかであるから、被控訴人らの右異議はその前提を欠き採用の限りでない。

前記昭和三八年九月一七日付を初めとする各了解事項及び前記各規則に定められた五班三交替制の勤務編成が控訴人主張の表のとおりであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証の一ないし三、乙第五号証の八、九、第七号証の三、四、第三六号証の三、原審証人月田七雄の証言によつて、成立の認められる乙第一〇号証の一、二、三の一、二、乙第三四号証の一ないし三、原審証人坂元昌隆の証言によつて成立の認められる乙第二二、二三号証、当審証人飯田孝三の証言によつて成立の認められる乙第五八号証、原審証人高島教一郎、同内藤俶孝、同小野寺敏美、同坂元昌隆、同月田七雄、同村主進、当審証人飯田孝三、同村上昌俊の各証言(右月田七雄以下の証人の証言については後記採用しない部分を除く。)、原審及び当審における被控訴人菅井正晴本人尋問の結果を総合すると、以下のとおり認めることができる。

(1) 控訴人はJPDRの完成引渡を約半年後に控えた昭和三八年四月、JPDRの直勤務を四班三交替制によつて実施していきたいとしてその旨原研労組に申し入れたのであるが、交渉の結果先に認定したとおり同年九月二六日以降五班三交替制による旨の協定に同意するに至り、右認定のような勤務編成を定める了解事項を締結し、更に昭和三九年四月一六日以降は右と同一の勤務編成を定める前記規則によつて五班三交替制を実施してきた。控訴人が当時右のように五班三交替制の採用に応じたのは、原研労組の要求が強く、当時の客観情勢からこれとの摩擦を避けたいとの配慮があつたほか、運転を開始したばかりのJPDRの直勤務態様として、右制度に控訴人が2、(二)、(1)において挙げるような合理性を認めたからでもあつた。

(2) ところが、既に約三年の運転経験を積んだ昭和四一年秋頃に入ると、控訴人内部において、特に人事部門を中心に「右勤務編成による断続的な日勤日に遂行すべきものとされていた業務のうち定常運転のための研究資料の集積や基本的な運転操作要領の作成、整備は既に終わり、一方当時重要性を帯びつつあつた既に得られた各種データの整理、解析、評価の業務を右のように断続的に到来する日勤日に運転員(当初配置されていた大学卒の研究員は当時は極く僅かとなつていた。)が行うのは非能率的であり、右のような日勤日を設けておく合理的理由が失われた」との意見(右意見自体は当時の業務の実態に照らし、客観的にも相当の理由があつたものと認めることができる。)が強くなり、業務の組織的効率的運営の見地から従前の五班三交替制の変更が検討されることとなつた。当時、特に人事部門においては、右の業務上の理由のほか、JPDRの直勤務者と通常勤務者との間に休日数等の労働条件の面で不均衡が存しそのため処遇上公平を欠くのでこれを均衡化する必要があるとの認識があり、加えて当時JPDRを従来の自然循環型から強制循環型のJPDRIIに改造するための工事が昭和四三年秋から約二年の工期をもつて開始されることになつており、その建設要員等を確保する必要があり、また大洗研究所に建設中の材料試験炉(JMTR)が同年三月臨界に達し運転要員を確保する必要もあつたことから、人員の合理的で効率的な配置の見地からも、JPDRの直勤務体制をなるべく早く四班三交替制に改めるべきであるとの考えもあつた。以上のほか、控訴人研究所の他の職場における直勤務については四班三交替制が採用されており、産業界、特に電力業界における直勤務にも五班三交替制の例は見られなかつたことや、昭和四二年六月監督官庁である科学技術庁原子力局から業務監査所見として四班三交替制の採用について具体的な検討をすすめるべきであるとの指摘をうけ、更に同年一〇月一九日付で同局長から右所見に基づく照会としてJPDR部の五班三交替制について直勤務体制の改善を図るべきであるとの見解について意見を求められる等の事情もあつた。

(3) 以上の事情をふまえて人事部門を中心にJPDR部の管理者をもまじえて検討した結果立案されたものが昭和四二年一一月二〇日改正案として控訴人から原研労組に提示され、同年一二月二七日の本件業務命令の内容とされた。すなわち、控訴人は、右同日前記規則の一部を改正する規則を定め、勤務時間、休憩時間、休日に関する規定を改め、別表として掲げられていた前記のとおりの勤務編成表を削除するとともに、「動力試験炉運転員等の勤務割の報告等について」と題する通達(甲第三号証の二、乙第七号証の四)を発し、以上を昭和四三年一月六日から実施する旨の業務命令を発した。右通達においては、JPDR運転員及びJPDR放射線管理室員の直勤務編成は次表<1>又は<2>のとおりとすると定められた。

<1>

第一日

II

III

第二日

III

II

第三日

III

II

第四日

III

II

第五日

III

II

第六日

III

II

第七日

III

II

第八日

II

III

第九日

II

III

第一〇日

II

III

第一一日

II

III

第一二日

II

III

<2>

第一日

II

III

第二日

II

III

第三日

II

III

I

第四日

II

III

第五日

III

I

II

第六日

III

II

第七日

I

II

III

第八日

II

III

そして、右通達に基づきJPDR部第四課長名をもつて、昭和四三年一月五日付で各人宛に実施通知(甲第三号証の三)が発せられ、これには、同月六日以降の直勤務は四班三交替制による旨を明記した上、右<1>による勤務割基準表が添付され、従前からの五つの係(班)のうち第五係は当分の間平常勤務(日勤業務)に就くべきことが定められていた。

(4) もつとも、右実施通知からもわかるように、JPDR部第四課には従前どおり五つの係が存置されており、業務命令の実施に先立ち第四課長から各勤務者に対し、当分の間日勤業務に就くこととされた第五係は三六日後に前記表<1>による一二日周期の直勤務を三回繰り返した四つの係の一つと交替して直勤務に入る旨が告げられた。こうして、原研労組のストライキのため一日遅れて同月七日から新たな勤務体制の下に直勤務が行われることとなり、同年二月一二日には右のとおり日勤班と直勤務班の交替が行われ、本件ロック・アウト終了後も暫くの間は三六日毎に同様の交替が行われた。

以上のとおり認められ、原審証人月田七雄、同村主進、当審証人飯田孝三、同村上昌俊の各証言中以上の認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、実施された直勤務はともかく、本件業務命令の内容それ自体が四班三交替制を定めるものであつたことは明らかである。次いで、昭和四三年一月七日以降現実に実施された勤務態様について考えるに、なるほど本件両協定には単に五班三交替制による旨が抽象的に定められているだけで、その具体的実施にあたつては種々の態様の勤務編成を考えることが可能であり、五班三交替制といえば前記各了解事項あるいは改正前の規則に定める日勤日を連続二日間とする一〇日周期の順転換方式に限られるものでないことは控訴人の主張するとおりであり、控訴人が変則五班三交替制と称する日勤日が三六日間連続する態様のものもそれが制度として確定されている限りこれを右両協定に定める五班三交替制の一態様ということができないわけではない。しかしながら、それはまことに特異な五班三交替制であり、前記両協定成立時において双方の予想しなかつたものであること、またJPDR部に三六日間連続日勤の運転要員を置くことが効率的な人員の配置として疑問であることは、前認定から容易に看取できるところである。ところで右認定の事実に、原審証人月田七雄、同古畑仁徳、同村主進(以上いずれも後記採用しない部分を除く。)、同小野寺敏美の各証言、原審及び当審における被控訴人菅井正晴本人尋問の結果を総合すれば、控訴人は業務命令自体としては完全な四班三交替制を定め、これへの早期移行を明確に意図していたものの、当面の人員配置の都合、必要性や原研労組の強硬な反対を考慮して、JPDRII改造工事の開始を予定していた昭和四三年秋までの過渡的、暫定的な措置としてとりあえず前記(4)認定のような変則的な態様の直勤務を実施したのであり、したがつて日勤班が三六日毎に直勤務に組み入れられることはあつたにしても、それは労使間の合意ないし就業規則に根拠をおくものではなく、所属長のその都度発せられる業務命令(指示)によつて行われたものにすぎず、結果的にみれば五班による三交替勤務が実施されたといえるだけであつて、直勤務に就いていない一班をいつでも他の職場等に振り向け、完全な四班三交替制に移行することも可能な状態にあつたものと認められるのである(原審証人月田七雄、同古畑仁徳、同村主進、当審証人飯田孝三、同村上昌俊の各証言中以上の認定に反する部分は採用できない。)。したがつて、右一月七日以降現実に実施された勤務態様も五班が直勤務に服することが制度として保障されていないという意味において、本件両協定の定める五班三交替制の範ちゆうに属しないものといわざるをえない。

よつて、控訴人の主張2の(二)もまた採用できない。

(三)  ここで、従前の勤務態様における労働条件と本件業務命令による新たな勤務態様におけるそれとの異同について検討する(控訴人の主張2の(三))。

従前の勤務態様における労働条件が控訴人主張の「労働条件の異同」表中「従前の労働条件」の欄のとおりであることは当事者間に争いがなく、本件業務命令自体に定められた四班三交替制における労働条件のうち「年間労働時間」、「年間各直勤務度数」が被控訴人ら主張の「労働条件の異同」表中該当欄のとおりであることは計算上これを是認することができ、「年間休日数」は後に一日追加されたことはともかく、業務命令自体においては同表の該当欄のとおりとされていたことが当審証人飯田孝三の証言によつて認められる。してみると、本件業務命令によつて、労働条件の上で大きな意味をもつ年間労働時間、年間休日数(第三直終業後の休務時間を控訴人主張のように完全な休日として計算しても)、年間各直勤務度数、日勤日数の面において被控訴人ら主張のとおりの不利益がもたらされることは明白であり、本件業務命令は、それ自体としては他と比較して劣悪な労働条件を強いるものといえないけれども、従前の労働条件を相当程度切り下げるものといわなければならない。

次に、昭和四三年一月七日以降現実に実施された勤務態様について、日勤班と直勤務班の交替が年間を通じて三六日毎に正しく行われると仮定した場合(すなわち控訴人のいう変則五班三交替制)の労働条件と従前のそれとの異同についてみるに、右前者の労働条件のうち「直勤務労働時間」、「年間各直勤務度数」が控訴人主張の前記表中該当欄のとおりであることは計算上明らかであり、また「年間休日数」は先に認定したところと同じく七〇・六〇七日であり、したがつて、「年間労働時間」は計算上同表中の時間を若干上廻ることとなるものと認められる。これらの諸点を従前の労働条件におけるそれと比較し、かつ控訴人主張の若干の改善点をも総合的に考慮すると、両者の労働条件の優劣はにわかに決し難いところではあるが、年間休日数において約一六日の減少があるという点(控訴人は第一直勤務終業後第三直勤務始業までの間に三〇・五時間の休務時間があることをもつてこれを「隠れた休日」とみるべきであるといい、当審証人飯田孝三も同旨を供述するが、暦日の関係を無視して時間数のみをとりあげ休日数を云々することは妥当でないというべきである。)及び年間を通じてみれば各直勤務度数に変更がないといつても、三六日間の日勤を終えたあと直勤務に服する四箇月余の期間については変則勤務である第二、三直、特に最も疲労度の激しいと思われる第三直を一二日間に三回連続しなければならないという点に、直勤務を長年経験している被控訴人菅井正晴の原審及び当審における供述を総合して考えれば、控訴人のいう変則五班三交替制もまた、若干であるとはいえ従前の労働条件を不利益に変更するものであることを否定し難いというべきである。

(四)  以上によれば、本件両協定は本件業務命令当時なお効力を有していたものであり、本件業務命令それ自体はもちろん、これに基づき現に実施された勤務態様も、右両協定に反するものであると同時に従前の労働条件を切り下げるものであつたといわなければならない。

3  次に、本件ロック・アウトに至る労使間の交渉態度、経過(控訴人の主張3)及び本件ストライキの目的、態様(同4)について検討する。

(一)  当事者間に争いのない事実に、前出乙第三六号証の三、成立に争いのない甲第六号証の一、二、第三四ないし第三六号証、第四八号証、第七五、七六号証、第八〇号証、乙第六号証の一、一七、一九、第八号証の一、二、五ないし七、一二、一七、二一、二三、第一三、一四号証、第三六号証の一、五、八、第三七号証、第四二号証の一、二、原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証、第七、八号証、原審証人月田七雄の証言により成立の認められる乙第三八号証、当審証人村主進の証言により成立の認められる乙第六三号証の一、二、原審証人内藤俶孝、同小野寺敏美、同月田七雄、同村主進、同古畑仁徳の各証言、原審及び当審における被控訴人菅井正晴本人尋問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(1) 控訴人は昭和四二年一一月一八日原研労組に対し、JPDRの直勤務基準の改正について協議を申し入れ、同月二〇日「動力試験炉直勤務制度改正に関する協議促進について」と題する書面添付の協定書案により、従前の五班三交替制を四班三交替制に改め、かつ直交替の際の引継時間(三〇分)の制度を廃止し、休日は年間六七日とすること等を内容とする改正案を提示し、あわせて同年一二月末までには協定、実施に至りたい旨を申し入れた。そして、控訴人と原研労組との間に、同月二一日を第一回として、同年一二月二七日までの間、控訴人主張の日に七回にわたり、控訴人側は人事部長、労務課長らが出席して折衝が重ねられた。右第一回の折衝において、控訴人は、改正の理由として、直勤務者と通常勤務者との間の労働条件(年間の勤務時間、休日数等)の均衡をはかり、人員の効率的配置と業務の効果的組織的運営のために四班三交替制の採用が必要である旨を説明した。これに対し、原研労組側は、昭和三八年五月三日付協定にうたわれているように、JPDRの直勤務に関しいかなる勤務体制を採用すべきかは原子力の研究開発というJPDR設置の目的、運転の安全性、運転員の健康の維持及び教育訓練による技術の向上の見地から作業の実態に即して検討すべきであり、かような見地から判断するときは五班三交替制を維持すべきであり、四班三交替制の採用には反対するとの態度をとつた。第一回の折衝後原研労組の要求により同年一一月二八日原子炉部門担当の柳下理事、村主JPDR部次長らが出席して労使懇談会と称する会合が開かれ、席上同理事から直勤務基準改正の理由として業務上の必要性に重点をおいた説明がなされた。次いで、同年一二月九日の第二回の折衝において、組合側は、右懇談会における柳下理事の改正理由についての説明や引継時間の必要性を認める旨の発言が第一回折衝における労務担当者の説明と食い違うとして控訴人側の見解を統一するよう求め、控訴人側は組合側のいうような食い違いはないと応酬し、第三回、第四回の折衝においてはこの点についての論争と業務上の必要性に関する議論が繰り返され、交渉は進展しなかつた。そして同年一二月一九日の第五回折衝に至り、原研労組は、控訴人の前記提案に対する具体的意見として、「<1>三〇分の引継時間は安全確保の見地から制度として必要である。<2>第三直の終了した日は明け休みであり、これを一般の休日とみなして通常勤務者の休日数との均衡をはかることには反対する。」との意見を表明し、これに対し控訴人側は、<1>については、従前の勤務の実態に照らし、全員一率三〇分の引継時間は必要でないから、制度としてこれを設けるのではなく引継は必要に応じてその都度超過勤務によつて処理することが適当であり、<2>については、改正案では第三直終了時から第二直始業時までの休務時間が三二時間に達するので、これを休日として扱うのは当然であるとの見解を述べた。なお、控訴人が右のように引継時間制度の廃止を強く主張したのは、右のような理由もさることながら、改正案においてこれを存置すると、年間労働時間数の増加を招き従前のそれを大幅に上廻ることとなり、ひいては休日の増加を考えなければならないことになる点をおそれたところにもその理由があつた。

こうして、同月二五日、二七日の第六回及び第七回折衝においても両者の主張は平行線をたどるだけで妥結の見通しが立たないまま、控訴人は同月二七日先に認定したとおり本件業務命令を発し、翌年一月六日からこれを実施する旨通告した。

(2) その後も控訴人は本件業務命令の定める直勤務方式につき原研労組の同意を得て労働協約の成立をはかるべく交渉を申し入れ、昭和四三年一月五日から同年二月六日までの間、控訴人主張の日に七回にわたつて折衝が行われた。この間の折衝において、原研労組は、本件業務命令の強行に抗議し、その撤回を強く求めるとともに、三〇分の引継時間を制度として存置すべき旨の従前の主張を繰り返したが、右二月六日の時点においては、従前の一〇日周期の勤務編成には必ずしも固執せず、一月七日から現に実施されていた方式を制度化すること、すなわち五班のうち一班を日勤班として常置し、これが三六日毎に直勤務班と入れ替わることを協定書に明文化すること(すなわち控訴人のいう変則五班三交替制の採用)を求め、若干の譲歩を示したのに対し、控訴人は引継時間については従前と同じ見解を繰り返し、また五班のうち一班を日勤班としておくのは同年秋に予定されたJPDRIIの改造工事開始までの暫定的、経過的措置にすぎないからこれを協定化することはできないとの立場をとり、譲らなかつた。そしてこの間原研労組は、本件業務命令による直勤務態様の変更に抗議するため、同年一月五日、翌六日からJPDR部所属組合員、保健物理安全管理部所属JPDR勤務組合員等につき無期限ストライキを実施する旨通告したが、当日二四時間ストライキに変更してこれを実施し、更に同月三〇日午後二時三〇分から同四時まで東海支部組合員全員につきストライキを実施した(なお、右一月三〇日の時限ストライキは本部所属組合員の都市手当の問題に関する控訴人の処置に抗議することを主たる目的としたものである。)。

ところで、右折衝には控訴人側は労務課長と同課員が出席するだけで、前年中と異なり人事部長の出席もなく、また原研労組の要求にもかかわらず理事の出席する団体交渉は一度も開かれることなく推移し、同年二月六日以降は右のような折衝ももたれない状況となつた。こうして、同月一九日原研労組は控訴人に対し書面をもつて控訴人主張の<1>ないし<5>からなる五項目の要求(右のうち<5>は控訴人のいう変則五班三交替制の制度化を意味する。)を申し入れ、翌二〇日この要求のもと無期限部分ストライキを宣言して翌二一日午前八時からJPDRの第一直の業務に就く組合員一〇名につき本件ストライキを実施した。

(3) JPDRは昭和四二年一〇月から始まつた定期検査を昭和四三年二月一三日終了し、同月一五日から運転前機能試験を行つて同月二一日運転を再開することとなつており、本件ストライキは右の運転再開の日を狙つて行われたものであり、その参加者の範囲が第一直勤務者一〇名に限定される部分ストライキであるとともに、JPDRにおける直勤務の性質上必然的に波状ストライキの形態をとることとなるものである。そしてJPDRは、原子炉を起動してから所定の出力に達するまでに約一六時間を要するため、控訴人主張のとおりの理由により、第一直勤務者のストライキが継続されればその運転を行うことができないことになる。しかして、本件ストライキ中も六名の運転員は保安要員として勤務していたので、結局第一直勤務者一〇名から六名を減じた四名が毎日ストライキを行うことによつて、JPDRの運転は完全に停止されることとなる。そのため、控訴人は昭和四三年二月二六日以降JPDR部第四課の日勤班八名に対し第一直の勤務に就くよう業務命令を発し、運転を再開しようとしたが、原研労組は直ちにこれらの者の指名ストライキを実施してこれを阻止した。控訴人は更に同月二七日JPDR部の直勤務を経験したことのある従業員に対し、第一直に就業させるべく第四課員の兼務発令をしたが、実施上の難点があつて実現できず、結局本件ストライキによりJPDRの運転再開は完全に阻止されるに至つた。

一方、原研労組はストライキ突入に際し、控訴人と争議協定を結び、JPDRの安全保持のため右のように六名の保安要員を提供し、また本件ストライキそのものは平穏に行われ、その期間中実力行使を伴うようなトラブルの発生は一切なかつた。

(4) 同年二月二七日本件ストライキ突入後初めて控訴人と原研労組間に折衝がもたれ、翌二八日にも続けられたが、双方の主張に譲歩は見られず、事態解決の見通しが得られなかつたので、控訴人はこのような事態に対処するため、理事長、副理事長以下幹部が協議した結果、原研労組の五項目要求貫徹の態度に対しロック・アウトをもつて対抗することを決意し、同月二九日原研労組に対しこれを通告し、同年三月一日午前八時以降、JPDRに勤務するJPDR部及び保健物理安全管理部各所属組合員(合計一〇〇余名)に対し本件ロック・アウトを実施した。これに対し原研労組は同日午後一時本件ストライキを解除し、同月四日書面をもつて就労を要求したが、控訴人はこれを拒否した。その後も三月一日を初めとして控訴人と原研労組との間に交渉が行われたが、双方の態度にようやく妥結の兆が見え、同月一九日の交渉においてJPDRの直勤務は四班三交替制により行うこと、ただしJPDRIIの改造工事着手まで暫定的に、通常勤務に服する日勤班(一班)をおき三六日を基準周期として直勤務に組み入れること、一五分の引継時間を制度として直勤務者全員に認めることなどの点につき合意に達し、控訴人は来る二二日本件ロック・アウトを解除する旨の意思を表明し、同日午前八時をもつて本件ロック・アウトは終息を告げるに至つた。

(5) その後同年四月二七日に至り控訴人と原研労組との間に、右三月一九日に合意されたところに従つて、JPDRの直勤務を四班三交替制によるものとし、引継時間を一五分とする協定が締結された。なお、その際、具体的な直勤務編成は労使の合意事項とされず、控訴人が実施にあたつて適宜これを定めることとされた。

右協定成立後もJPDR部第四課には五つの係が存置され、暫くの間は従前同様所属長の指示により日勤班と直勤務班の入れ替えが行われたが、同年一〇月(なお、JPDRIIの改造工事は予定が大幅に遅れ、翌四四年九月頃に至つて開始された。)からは四班のみが直勤務に服する完全な四班三交替制が行われるようになつた。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、控訴人の主張3中、以上認定したところをこえて、労使間の交渉経過における原研労組側の態度を非難する部分については、これにそう原審証人月四七雄、同古畑仁徳、当審証人村上昌俊の各証言はにわかに採用し難く、他にこれを認めるに足りる証拠がない。

(二)  以上に認定した諸事実に基づいてまず本件ロック・アウトに至る労使間の交渉の経過について考えるに、控訴人が改正案を提示した昭和四二年一一月二〇日から本件業務命令までの間においては、原研労組側が控訴人側担当者の説明、発言に対する揚げ足とりに類することを主張して交渉の引き延ばしを図つた点もみられないではないが、一方控訴人側も右改正案どおりの協定化を急ぎ、これが望めないとみるや、一方的に業務命令によつてこれを実施しようと図つたものであり、従前の五班三交替制による勤務編成に当時の業務の実態に照らし、その能率的、効果的運営の見地からいつて改善すべき点があつたとしても、右改正案が前認定のように本件両協定に違反し、労働条件の切下げをもたらすものであつたことを否定し難い以上、右のような原研労組側の態度のみを一概に非難することはできないというべきである。そして、本件業務命令が発せられて後本件ロック・アウトに至る経過についても、右改正案の内容どおりの本件業務命令が強行されたことに対して原研労組が強く反発し、その撤回を求めたことは労働組合の態度として無理からぬところであり、右業務命令が日々職場に定着化していく一方、控訴人側の責任ある立場にある者の出席する団体交渉も開かれないまま推移する中で、原研労組が争議行為の意思を固め本件ストライキに至つたことについて、その態度を控訴人のいうように一方的に非難することのできないことは明らかである。のみならず、原研労組は昭和四三年二月六日の時点では既に従前の五班三交替制による勤務態様に必ずしもこだわらない態度を示し、本件ストライキに先立つて提示した五項目の要求においてもこれを明示しており、また、右要求において主張するところは、当時現実に行われていた勤務態様(すなわち、前認定のとおりそれが制度的に保障されていない点はともかくとして、五班をおき日勤班が三六日毎に直勤務班の一つと交替する態様のもの)を前提とする限り、<2>の三〇分の引継時間制度の存置の点を除き(<3>の点については控訴人としても異議がなかつたことは明らかであり、<4>の点は原審証人月田七雄の証言にその後の交渉経過をあわせ考えれば原研労組自体さほどこれを強く要求する意思はなかつたものと認められる。)、控訴人側の主張とその実質において大きくかけ離れていたものとは思われず、控訴人においてこれに適切に対処することによつて右引継時間の点も含め適当な妥協点を見出すことも必ずしも困難でなかつたとみることができるのである(当審証人村上昌俊の証言中以上の認定に反する部分は採用できない。)。

次に、本件ストライキの目的について考えるに、本件ストライキがJPDRの直勤務者の労働条件の切下げを内容とする本件業務命令(それが本件両協定に違反するものであることは先に認定したとおりであるが、右(一)の冒頭に揚げた各証人及び被控訴人本人の供述によれば、原研労組は当時この点を必ずしも明確に意識しておらず、抗議の理由としても揚げていなかつたことがうかがわれる。)の撤回、具体的には右五項目の要求の貫徹を目的として行われたものであり、その目的において不当のものがあつたということのできないことは明らかである。控訴人は、従来の原研労組の姿勢に照らし、本件ストライキの目的は単に右のみにとどまらず控訴人の管理運営に関する権限を掌握するところにその真の狙いがあり、本件ストライキは右の狙いを実現するための全所的闘争の拠点作りないし火つけ役に利用すべく行われたものとみるべきであると主張し、原審証人月田七雄、当審証人村上昌俊は原研労組発行の当時の機関誌(例えば乙第三六号証の三)等を根拠に右主張にそう供述をするが、労働組合が争議中に発行する機関誌が組合員の士気高揚、団結の維持を目指して多かれ少かれ誇張した表現をとりがちであることはみやすい道理であるし、原審証人古畑仁徳の証言によれば、本件業務命令実施後本件ストライキまでの間に本件業務命令の撤回のみを目的としたストライキ等の争議行為が他の職場において行われたことはなかつたことが認められることや原審証人角田道生の証言(第二回)に照らすと、前記各証言は客観的な根拠に基づくものとは認め難いというべく、他に控訴人の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

また、本件ストライキの態様についても、特にこれを不公正と目すべき点は見当たらない。この点について、本件ストライキが部分かつ波状ストライキの形態をとるものであり、四名の労務不提供によつてJPDRの運転の全面停止を結果したものであることは先に認定したとおりであるところ、控訴人は右のようなストライキは原子炉の特性を巧みに利用して原研労組の犠牲はこれを最小にし、控訴人が受ける打撃はこれを甚大にするように意識的に仕組まれたものであつてその態様において公正を欠くものというべきであると主張するが、そもそも部分ストライキは企業の業務上重要な部門の組合員のみについてストライキを実施することによりこれと有機的な分業、協業関係にある他の部門にも業務上の影響を及ぼして事実上全面ストライキと同様の効果を挙げること、換言すれば労働者側の損失をできるだけ少なくして使用者側により大きな打撃を与えることを狙いとする場合が多いのであり、そのこと自体から直ちに当該ストライキが態様の面において公正を欠くとされるべき筋合いのものではない。また、控訴人は、本件ストライキは原研労組において長期間執拗に行うことを意図していたものであり、しかもこれによる組合の損失が僅か四名の賃金喪失にすぎないことなどの事情から主観的、客観的に長期化する条件を備えていたものであると主張し、原審証人古畑仁徳、当審証人村主進、同村上昌俊はこれにそう供述をするけれども、原審証人角田道生の証言(第二回)に前記認定の本件業務命令実施後本件ストライキまでの経過における原研労組のとつた争議行為の態様や態度、特に当時原研労組が従前の勤務態様にこだわらない態度を示し、前記五項目の要求もそれ程控訴人側の主張とかけ離れたものとはいえなかつたことや、原審証人古畑仁徳の証言により成立の認められる乙第二七号証の一、二によれば原研労組が行つた過去の争議行為の例にもさして長期にわたるものは見当たらないことなどを総合すれば、本件ストライキ突入の前後の時点で控訴人側における適切な対処を期待して然るべきであり、それでもなお、原研労組が控訴人主張のように長期にわたつて本件ストライキを継続するおそれがあつたといえるような客観的な状況が存在したものとは断言できないというべきであり、前掲各証言はにわかに採用し難く、他に右のような状況の存在を認めうべき証拠はない。

4  そこで進んで、控訴人がその主張5において主張する本件ストライキによつて受けた打撃の内容及び程度について検討する。

(一)  まず、各種試験研究等の面における打撃(控訴人の主張5の(一))についてみるに、成立に争いのない乙第三号証、第一六号証の一ないし三、第五九号証、第六〇号証の一、三、六、七、当審証人村主進の証言によつて成立の認められる乙第六一号証の一ないし四、当審証人村主進、同村上昌俊の各証言によれば、控訴人が原子力の研究、開発、利用の促進に寄与することを目的として設立されたわが国唯一の原子力に関する総合的研究、開発機関であり、JPDRがこの目的遂行実現の一環として導入されたわが国唯一の動力試験炉であること、JPDRの設置目的が控訴人の挙げる<イ>ないし<ハ>の三点に要約されること、控訴人はJPDRを使用して行う試験研究を通じて得た成果をさまざまの形で学界、産業界に普及し、研究者、技術者を養成して研究、技術水準の向上をはかり、前記設立の目的を実現するものであり、これらの業務のために投ぜられる資金は莫大なもので、その大部分は国費によりまかなわれていること、控訴人は各事業年度毎に、内閣総理大臣の認可を経て作成される事業計画に則り、当該事業年度に実施すべき研究についてその目的、内容、日程等を明らかにした研究計画を策定するところ、本件ストライキの行われた昭和四二事業年度の研究計画においては、当時の軽水型動力炉の導入、国産化という政策にそうものとして、JPDR部では控訴人主張のイないしハのとおりの研究テーマを、独自にあるいは外部研究機関との共同研究により又は右機関からの受託研究として遂行すべきものとされていたこと、本件ストライキの行われた昭和四三年二月当時これらの研究テーマのもとにJPDRを使用して遂行すべきものとされていた具体的業務として、控訴人の挙げる<1>ないし<11>の試験研究のうち<1>、<3>、<6>、<8>、<9>、<10>が、また<12>の養成実施訓練がそれぞれ予定されていたこと、これらの試験研究等の業務が本件ストライキによつてJPDRの運転が停止したことにより、その期間中実施できなかつたこと、右試験研究はいずれも前記政策の一環としての原子炉構成機器、燃料等の国産化、改良の動きに即応してその成果を早期に得ることが望まれており、それ自体重要な意義をもつものであつたこと、また右養成実地訓練の実施も控訴人の使命に照らしゆるがせにできないものであつたことをそれぞれ認めることができ、以上の認定に反する証拠はない。なお、控訴人は右に認定したもの以外にも若干の試験研究(<2>、<4>、<5>、<7>、<11>)について本件ストライキの影響を主張し、前掲乙第五九号証によれば、これらもまた昭和四二事業年度の研究計画に定められていたことは肯定できるけれども、これらの実施が本件ストライキによつて現実に影響を受けたことについては、当審証人村主進の証言はこれを認めるに必ずしも十分でなく、他に的確な立証がない。

しかしながら、前出乙第六三号証の一、成立に争いのない甲第一六号証の一ないし三、第六三号証、第六六号証、第七八号証、第八四号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第五九号証、当審証人村主進の証言、当審における被控訴人菅井正晴本人尋問の結果によれば、JPDRの稼動率は従来から三〇%弱と低く、定期検査や故障等のためしばしば運転を停止してきたものであり(すなわち昭和四〇年七月から九月にかけて八二日間、昭和四一年五月から九月にかけて一三四日間、昭和四二年二月から三月にかけて五八日間、同年六月から八月にかけて六七日間等)、このためJPDRを使用して行うべき試験研究の多くは当初の計画どおり進行しないことが多く、それが外部機関との共同研究による場合契約を更新してさらに次年度に継続することが多かつたこと、前記認定の試験研究の多くも右の例にもれず従来からの遅れもあつた上、本件ストライキ直前にもJPDRが昭和四二年一〇月から定期検査のため運転を停止し、昭和四三年一月に運転再開を予定していたところ、検査の完了が遅延したことから、同年二月二一日に再開が延び、その実施が遅れていたこと、右認定の試験研究はそれ自体三、四年間にわたつて継続されて初めて成果のあがるもの、もしくはそのような長期にわたる試験研究の一環を占めるものであり、その多くは本件労働争議終了後契約を更新するなどして遂行され一応の目的を達して終了していること(現在なお進行中のものもある。)が認められ、これらの事実と本件ストライキによる試験研究の遅延もその結果自体をとらえれば従来の運転停止による遅延と何らえらぶところがないことや前記認定の試験研究の内容をあわせ考えれば、右試験研究は主として将来のエネルギー源としての原子力発電の実用化(弁論の全趣旨により成立の認められる甲第六四号証によれば、原子力発電のわが国の総発電量に占める割合は昭和四九年度においても四・二%にとどまる。)のための基礎的な研究なのであつて、それ自体としては、本件ストライキ当時極く近い一定の時期までに是が非とも完了しなければならない性質のものではなかつたとみるべきであるから、本件ストライキによる一〇日間の遅延が右試験研究にとつて決定的な意味をもつとまでは到底認め難いといわなければならない。また、前記養成実地訓練についても、成立に争いのない甲第七九号証、当審証人村上昌俊の証言によれば、本件ロック・アウトを経て昭和四三年四月から契約に基づいて実施され、同年秋までには一応の目的を達して終了していることが認められるから、本件ストライキによる遅れがその実施にとつてさほど重要な意味をもつていたとはにわかに断じ難い。

もつとも、控訴人は、右のように当時JPDRの運転再開が遅れていたため、定められた試験研究計画に齟齬をきたさぬようこれを早急に実施すべき必要があつたことと当時同年五月六日から約三箇月間運転を停止して炉底検査を行い、同年一〇月からはJPDRII改造工事に入る予定となつていたので、前記試験研究を実施しうる期間が極めて限られていたことを根拠に同年二月二一日からの運転再開の重要性を強調し、また一〇日間の遅れといつてもJPDRの稼動率が低く運転期間が年間九〇日程度と限られていたことからすれば、試験研究に対する影響は極めて大きいと主張する。しかしながら、右のうちJPDRII改造工事の開始予定の時期については、そもそも前記認定の試験研究の実施が控訴人のいうように期限を限られていたものとすればそれが未了の場合に、予定をいささかも遅らせることのできない至上命令であつたのかという疑問も生じるが、この点はともかくとして、成立に争いのない甲第六〇、六一号証、第七〇号証、当審証人村主進の証言により成立の認められる乙第六三号証の三、当審証人村主進の証言によれば、右改造に関する安全審査は昭和四二年三月から原子力委員会原子炉安全専門審査会の中に設けられた第三〇部会において行われてきたところ、同部会の答申に基づき昭和四三年二月七日右審査会は、改造部分については安全であるとの結論を出したが、JPDRの圧力容器のヘアクラック(この点は昭和四一年からその安全性が問題となつていたもので、JPDRは前記昭和四二年一〇月に始まつた定期検査の結果、所管の通産省から昭和四三年五月運転を停止して圧力容器の底部を検査することを条件に、同年二月二一日からの運転再開を許可されていたものである。)に安全上問題があるとし、ただし、右の点は審議の対象となつておらず通産省の所管に属することからその取扱いを今後検討することとして結論を出さなかつたこと、控訴人は、科学技術庁原子力局の行政指導により同年三月一二日右の点を安全審査の対象に追加する申請書を提出し、この点は引き続き右第三〇部会において審議検討されることとなつたこと、その後右圧力容器のヘアクラックに関する安全審査には一年半を要し、前記審査会は昭和四四年九月その安全性を認める結論を出し、その頃ようやく改造工事が開始されるに至つたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。右に認定したところによれば、本件ストライキから本件ロック・アウトに至る時点においては、JPDRII改造計画の安全性について、前記審査会において圧力容器のヘアクラック問題がとり上げられ、これにつきなお審議が必要とされる状況にあつたことは、控訴人も十分承知していたわけである。そして当審証人村主進は右当時右の点が安全審査の対象とされても既にこれに関する資料は提出されており、同年三月中には安全性に問題なしとの結論が出されるものと予測していたと供述するが、従前の経緯及びその後の経過をみると、右予測は楽観的に過ぎ、同証人の希望的観測の域を出ないものといわざるをえず、控訴人は、本件ストライキ当時公けの計画としてはなお同年一〇月に改造工事に着手することを予定し、これを望んでいたとしても、現実問題としてはその開始が遅れることを予測できないわけではなかつたものと認めるべきである。したがつて、従来からの試験研究の遅れを根拠に昭和四三年二月二一日からの運転再開の重要性をいう控訴人の前記主張も、同年秋のJPDRII改造工事の予定について右のとおり認められる以上説得力を失うというべきである。また、JPDRの従来の稼動率が低いことを理由に一〇日間の遅れの重要性をいう控訴人の議論は、それ自体としてはもつともな点が認められないではないけれども、むしろ右のような過去のいきさつからすれば、前記試験研究の性質上一〇日間程度の遅延は控訴人内部においても必ずしも決定的なものとはうけとられていなかつたとも推察されるのであつて、右議論にはにわかに左袒し難いというほかない。

以上の次第であつて、控訴人が原子力の研究、開発、利用を推進することにより間接的に公共の福祉、国民生活の利益に奉仕すべきものであるから、そこにおいて行われる争議行為による損失、打撃については私企業におけるとは異なる考察が必要であり、しかもその事業が研究であることに伴う特殊性を考えなければならないという控訴人の主張(なお、控訴人は共同研究等の外部関係機関との関わりのある業務を実施できなかつたことにより、これらの機関の業務計画に大きな支障を与え、控訴人の対外的信用を失墜した旨主張し、当審証人村主進、同村上昌俊の証言中にこれにそう部分があるが、右各証言をもつては右に関する具体的事実を認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)を十分考慮に入れても、本件ストライキによる前記試験研究、養成実地訓練の阻害をもつて、本件ロック・アウトの正当性を考える上で控訴人が主張するような大きな打撃であつたと認めることはできないというべきである。

(二)  次に、控訴人はその主張5の(二)において本件ストライキにより控訴人の被つた損失、打撃として、原研労組が本件ストライキによつて一日につき僅か四名分の賃金約七〇〇〇円を喪失するだけであるのに対し、JPDR部等所属の組合員の提供する労務は全く不必要又は無価値なものとなり、控訴人はこれに対して一日につき約一九万七〇〇〇円の賃金の支払を余儀なくされることとなつた点を主張するので検討する。

JPDR部第一課ないし第四課及び保健物理安全管理部放射線管理課動力試験炉管理係の職務分掌が控訴人主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、原審及び当審証人村主進、原審証人古畑仁徳の各証言によれば、JPDR部第一課ないし第四課がJPDRを運転し、これにより各種試験研究等を行うための有機的な分業、協業の関係にあること、第四課については、本件ストライキによる運転停止により補機の運転等保安のためのもの以外の業務がなくなつたこと、第三課については、JPDRが当時定期検査を終了していたことから運転停止中になすべき業務は運転時に比べて少なくなつていたこと、第二課については、同課で行うべき試験研究の実施ができなかつたことは前記(一)に認定したとおりであり、同課本来の業務はほとんどなくなつたといえること、前記係についても、本件ストライキにより本来の目的である運転中の放射線管理の業務がなくなつたこと、本件ストライキによる組合側の賃金喪失(四名分)が一日あたり約七〇〇〇円、控訴人がJPDR部各課及び右係の組合員に支払うべき賃金が一日あたり約一九万七〇〇〇円であることを認めることができ、右によれば、JPDR部各課(第一課を除く。)及び前記係の業務が本件ストライキによる運転停止によつて大幅に減殺されるか、あるいは本来意図するものでなくなつたことは明らかである。そして、JPDRにおいて過去何度か運転停止があり、年間稼動率が三〇%弱であつたことは先に認定したとおりであるが、これらの運転停止は定期検査等のため計画的に、あるいは故障又はその修理等のため必要に応じて行われるものであつて、ストライキによる運転停止はこれと同列に論じえないというべきことも当審証人村主進の供述するとおりである。

しかしながら、部分ストライキによつて関連部門の業務が阻害され、労働者側の賃金喪失と使用者側の賃金支払との不均衡が生じたからといつて直ちに、当該部分ストライキを違法あるいは不当なものということはできず、右によつて使用者側が著しい損失、打撃を被るものといえるかどうかは、使用者の余儀なくされる無用な出捐の程度とその経済的負担能力との関係や当該部分ストライキの目的いかん等を考慮して判断されなければならない。これを本件についてみるに、JPDRは、先に認定した設置目的からすれば運転及び保守に関しての経験を得ることのほか、その運転によつて各種の試験研究を行うことを本来の使命とするものであり、右認定の各課等の業務阻害のうち、右試験研究の面における業務阻害がとりわけ重要な意味をもつものというべきところ、本件ストライキによる右の面における業務阻害のもつ意味をしかく強調することのできないことは前記(一)において説示したとおりである。加えて、JPDR部各課等の業務に右認定のような阻害が認められる反面、成立に争いのない甲第三七号証、第四二号証、第八六号証に原審証人小野寺敏美、同江連秀夫、当審証人村主進(後記採用しない部分を除く。)の各証言、原審における被控訴人三坂侃、同佐藤治志、当審における被控訴人菅井正晴各本人尋問の結果を総合すれば、JPDR部各課のうちその庶務を分掌する第一課は、業務の性質上本件ストライキによる影響を具体的にはほとんど受けなかつたものとみられ、また第三課においては、JPDRの運転停止中であつても機器の大半は活動しているので、これの日常定検業務があつたほか、本件ストライキ期間中も右機器に故障が発生し、また定期検査中になされていなかつた故障も残つていてこれらの修理が現に行われ、更に老朽機器の更新等に関連する業務も行われていたこと、第二課においても、同年三月二五日に開催される日本原子力学会にむけて研究成果発表の準備(これも職員の業務として認められていた。)が行われていたこと、前記係においても、運転停止中にも行うべきことが義務づけられている業務があり、ストライキに入らなかつた通常勤務者がこれを行つていたことが認められる(原審及び当審における証人村主進の証言中右認定に反する部分は採用できない。)のであるから、控訴人が支払を余儀なくされるという一日あたり一九万七〇〇〇円の出捐のすべてが無用の出費となるものでないことは明らかである。これらの点と弁論の全趣旨から認められる特殊法人としての控訴人の経済的負担能力とをあわせ考えれば、右の程度の出捐が控訴人に著しい損害を与えるものであつたとはにわかに認め難いというべきである。そして本件ストライキが本件両協定に違反し労働条件の切下げを内容とする本件業務命令の撤回を目的として行われたそれ自体正当な目的を有するものであることは先に判示したとおりである。してみると、本件ストライキによる原研労組側の賃金喪失が僅かであるのに対し控訴人においてはJPDR部各課等の業務阻害にもかかわらず賃金全額の支払を余儀なくされることをもつて、本件ストライキが控訴人に著しい損失、打撃を与えるものであつたとは到底認めることができないといわなければならない。

(三)  更に控訴人は、その主張5の(三)においてJPDRの運転による発電によつてまかなつていた東海研究所内の消費電力を外部から購入せざるをえなくなり、また余剰電力の売却による収入も杜絶する旨主張し、右事実は原審証人村主進、同古畑仁徳の各証言によつてこれを認めることができるが、本来JPDRの運転は前記認定の目的で行われるものであつて企業として行われるものではなく、このことは東海研究所が東京電力株式会社から購入する電力料金が一キロワットアワーあたり六円ないし七円であるのに対し、同会社に売却する電力料金は一キロワットアワーあたり昼間が一円余、夜間が一円に満たない事実(右各証人の証言により認められる。)に照らしても明らかであるし、更に先に認定したようにJPDRが昭和四〇年七月から昭和四二年八月までの間、二箇月ないし四箇月にわたり運転及び発電を停止していた事実及び昭和四二年一〇月定期検査のため停止し、翌四三年一月運転再開の予定が同年二月二一日に延び、それが本件ストライキにより旬日遷延したにすぎない事実をあわせ考えるときは、控訴人の右主張によつては、控訴人がそのために本件ロック・アウトを正当ならしめるような損失、打撃を被つたものと即断するわけにはいかない。

(四)  以上によれば、本件ロック・アウトの実施にあたつて、控訴人が原研労組の行つた本件ストライキにより被る損失、打撃によつて著しく不利な圧力を受けることになるような状況におかれていたものとは認められないといわなければならない。

控訴人は、その主張5の(四)において本件ストライキが一〇日間で終わつたのは原研労組が本件ロック・アウトに対抗して戦術的にこれを中止したからにすぎず、原研労組としてはなおこれを継続する意思を有し、また継続しうる状況にあつたと主張するが、原研労組がその後のストライキを具体的に予定しながら戦術的に一時ストライキを中止したものと認めるべき証拠はないし、控訴人側において本件ストライキに対し適切に対処したとしてもなお、原研労組が控訴人主張のようにしかく長期にわたつて本件ストライキを継続するおそれがあつたといえるような客観的状況が存在したものと断言し難いことは先に説示したとおりであり、右の主張をもつては、本件ロック・アウトの実施にあたつて控訴人がおかれていた状況に関する前記判断を左右することはできない。

5  以上の次第であつて、これを要するに、控訴人が昭和四二年一二月二七日に発した本件業務命令は、JPDRの直勤務につき四班三交替制を定めるものであつて、右直勤務を五班三交替制によるべきものと定めた控訴人と原研労組間の昭和三八年七月二一日付及び同年八月一五日付協定に反するものであると同時に、右直勤務者の従前の労働条件を切り下げるものであつた(以上のことは昭和四三年一月七日以降現実に実施された直勤務態様についても同様である。)のであり、昭和四二年一一月二〇日の控訴人の改正案提示から本件業務命令を経て本件ロック・アウトに至る間の労使間の交渉経過において、原研労組側の態度のみを一方的に非難することのできないことも明らかである。そして、本件ストライキは、右業務命令の撤回を目的として行われたものであつてその目的において不当のものがあつたといえないのみならず、その態様の面においても不公正なものであつたということはできないのであり、これによつて控訴人が受ける損失、打撃の程度についてみても、試験研究等の業務の阻害、ストライキに参加しなかつたJPDR部各課等の組合員への賃金支払、売電収入の杜絶等控訴人主張のいずれの面においてもさほど大きなものがあるとは認め難く、控訴人が本件ストライキにより著しく不利な圧力を受けることになるような状況におかれていたとは認められないというべきである。結局、本件ロック・アウトは、控訴人として右損失、打撃を避けるという目的のあつたことは否定できないにしても、同時に本件ストライキを排除して、ロック・アウトの圧力により原研労組をして本件業務命令の定める四班三交替制を内容とする労働協約を締結させるという積極的な意図の下に行われたものであるとみざるをえない。以上を前記1において述べた法理に照らして考えれば、本件ロック・アウトは、その開始の時点において、「本件ストライキにより控訴人が著しく不利な圧力を受けることになるような場合に行われたもので、衡平の見地から見て労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段として相当なものであつた」とは認められないというほかない。そして本件ロック・アウトが開始された後の時点において、これを正当ならしめるような特段の事情の変化があつたことは本件全証拠によるもこれを認めることができないから、右の結論は本件ロック・アウト継続中についても異ならないというべきである。よつて、本件ロック・アウトはその実施期間中のいずれの時点をとつても正当性を認め難いといわなければならず、控訴人の主張は採用することができない。

三  してみると、控訴人は被控訴人らに対し、本件ロック・アウトにより就労できなかつな期間中の同人らの賃金の支払義務を免れないというべきところ、右期間中の就労に対し控訴人が支払うべき本給、研究手当、研究要員手当、初任給調整手当が原判決添付別紙債権目録(9、48を除く。以下同じ)中の該当欄記載のとおりであること及び同別表1(48を除く。以下同じ)記載の被控訴人らが右期間中同表記載の回数第二直、第三直を勤務したとすればこれに支給さるべき原子炉等交替手当の額が右目録中該当欄記載のとおりであり、また同別表2(9を除く。以下同じ)記載の被控訴人らが本件ロック・アウトの実施された月の勤務日数の半ば以上勤務したとすればこれに支給さるべき放射線業務手当の額が右目録中該当欄記載のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。控訴人は、原子炉等交替手当は第二直又は第三直の勤務に、放射線業務手当は原子炉等の運転その他所定の放射線業務にそれぞれ現実に従事した場合に初めて支給されるべき性質のものであるから、控訴人は以上の業務に現実に従事しなかつた被控訴人らに対し、これらの手当を支給すべき義務を負う筋合いはない旨主張するが、本件ロック・アウトがなければ、原判決添付別表1記載の被控訴人らが同表記載の回数第二直、第三直を勤務することが予定されており、また同別表2記載の被控訴人らが当該月の勤務日数の半ば以上所定の放射線業務に従事したであろうことはいずれも控訴人において特に争わないところであるから、右各手当もまた本件ロック・アウト期間中の就労について控訴人が支払義務を免れない賃金のうちに含まれることは明らかである。

よつて控訴人は被控訴人らに対し、原判決添付別紙債権目録中「合計」欄記載のとおりの各金員を支払わなければならない。そして、「日本原子力研究所職員給与規程」(甲第五五号証)によれば職員の給与の支給定日は毎月一五日(ただし休日を除く。)であり、この支給定日に支給する給与は、当月分の本給、研究手当、研究要員手当、初任給調整手当等並びに前月分の放射線業務手当、原子炉等交替手当等となつており、また職員を給与の支給定日以後月末までに採用したときは、その月の本給、研究手当、研究要員手当、初任給調整手当は翌月の五日(ただし休日を除く。)に支給し、更に給与の支給定日以後月末までに職員の本給その他右の各手当につき異動を生じたときは、翌月の支給定日において増額又は減額して支給する建前となつている。したがつて、控訴人の被控訴人らに対する前記目録中「合計」欄記載の各金員の支払義務は遅くとも昭和四三年四月一六日被控訴人ら全員に対しそれぞれ履行遅滞に陥つたことになる。

四  以上の次第であるから、控訴人に対し、前記目録中「合計」欄記載の各金員及びこれに対する昭和四三年四月一六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人らの本訴各請求はすべて正当として認容すべきであり、これと同旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。よつてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 三井哲夫 河本誠之)

(別紙省略)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

一、被告は原告らに対し、別紙債権目録中「合計」欄に記載する各金員およびこれに対する昭和四三年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の申立

一 原告ら

主文第一、二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二 被告

「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者双方の主張

(請求原因)

一、1 被告は、日本原子力研究所法(昭和三一年法律第二九号)に基づき、昭和三〇年一一月三〇日に発足した財団法人原子力研究所が同三一年六月一五日日本原子力研究所となつたものであり、原子力基本法(昭和三〇年法律第一八六号)の趣旨に従い、原子力の開発に関する研究等を行なうことを目的とし、主たる事務所(本部)を東京都港区新橋一丁目一番一三号に、従たる事務所(研究所)を茨域県那珂郡東海村、高崎市、茨城県東茨城郡大洗町、大阪等に有する職員約二、〇〇〇名を擁する特殊法人である。

2 原告らは、いずれも右東海村所在の研究所(以下東海研究所という。)内の動力試験炉(以下JPDRという。)管理部(以下JPDR部という。)及び保健物理安全管理部に所属し、昭和四三年三月一日より同月二一日の間JPDRに勤務していた職員であり、被告の職員で組織されている日本原子力研究所労働組合の東海支部の組合員である(以下日本原子力研究所労働組合を単に原研労組、同組合東海支部を単に東海支部と区別して使用することがある。)。

二、1 JPDR部においては一日二四時間を三分し、職員が交替で勤務することによつてJPDRの連続運転が行われているが、三分された各勤務時間帯を直といい、このような勤務体制を直勤務と称し、第一の勤務時間を一直、第二のそれを二直、第三のそれを三直と称している。

2 被告は昭和四二年一二月二七日直勤務に関する規則を改正した上、JPDRに勤務する組合員に対し、翌四三年一月六日以降従来の直勤務体制である五班三交替制(五班三直制ともいう。)から新たな勤務体制である四班三交替制(四班三直制ともいう。)に服すべき旨の業務命令を発した。

3 五班三交替勤務体制から四班三交替制への変更に伴なう労働条件の変更の内容はつぎのとおりである。

a 休日数および勤務時間数に変更が生じる。

五班三交替の勤務体制では休日数が八五日であつたが、業務命令によつて実施されている四班三交替のそれでは六九日であり、一六日減少する。これは、五班三交替制のもとで実施されていた明け休みが廃止されたことによる。

また、年間の勤務時間数は、五班三交替制の場合は二、〇五六時間であるが、四班三交替制のもとでは一九・五時間増加する。休日数の減少に対し勤務時間数の増加が少ないのは、五班三交替制のもとにおける各直の引継ぎを行なうための勤務時間三〇分が廃止されたからである。

b 夜間勤務が増加した。

夜間勤務(午後一一時三〇分から翌日午前八時まで)は労働者にとつて肉体的にも精神的にも非常に過重なものであるが、この夜間勤務が一九回増加した。

三、そこで、原研労組は、昭和四三年一月五日被告と折衝を持ち、前記業務命令の撤回等につき話し合つたが合意に達しなかつたので、同年一月六日にJPDR部の一部組合員をストライキに入らせた。

さらに、同年一月七日から業務命令が強行される一方、たまに原研労組と被告との間で行われる事務折衝に、被告側は決裁権限のない労務課長以下と労務課員が出席して四班三交替制の勤務態様を説明するにすぎず、団体交渉も開かれず、四班三交替の勤務体制は時々刻々定着しつつあり、組合の存在は無視されたと同様であつた。折からJPDRは昭和四二年一〇月から定期検査のため停止していたが、同四三年二月二一日から運転の再開が予定されていた。そこで原研労組は同年二月二一日から同年三月一日までの間、JPDR部の一直勤務者の一〇名をストライキに入らせた。

四、ところが、被告は、同年三月一日午前八時から同月二一日午前八時までの間、JPDR部に勤務する組合員に対し、ロック・アウト(以下本件ロック・アウトという。)を実施した。

五、原研労組は、同年三月一日午後一時ストライキを解除し、被告に対し就労を要求した。

六、本件ロック・アウトは、以下の理由により違法であるから、原告らは被告に対し、本件ロック・アウトにより就労できなかつた期間中の賃金請求権を失わない。

1 目的の違法

a 本件ロック・アウトは、JPDR部門の直勤務体制変更に関する違法な前記業務命令の貫徹を目的としてなされたものであるから、目的において違法である。

(イ) 右業務命令は、原告らの所属する原研労組との間で締結された労働協約に反し違法のものである。すなわち、原研労組と被告との間に昭和三八年五月三日付で「昭和三八年九月二六日以降のJPDRにおける労働条件中、勤務態様およびこれに関連するものについては、五班三交替制として取り決めるものとする。」旨の協定が締結され、これに基づいて、JPDR運転担当係については同年七月二一日に、JPDRに関連する放射線管理室動力炉管理班については同年八月一五日に、それぞれ「同年九月二六日以降の勤務態様を五班三交替制によること」を確認する旨の協定が締結されている。

右各協定はいずれも期間の定めのない労働協約であるが、被告は、右協約について労働組合法第一五条第三項所定の解約予告を行なうことなく、協約に定められた五班三交替制を一方的に四班三交替制に変更する措置をとり、前記業務命令を発したものである。

(ロ) 右業務命令は、その根拠となつた就業規則の変更手続が労働基準法第九〇条に違反する。

被告は就業規則の一種として昭和三九年規則第二号「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」を制定し、同年四月一日以降これを実施してきたが、その中には前述の協定において定められたJPDR部門の五班三交替制を基本とする労働条件が規定されていた(同規則第二〇、第二一条、第四一、第四二条、第六〇条、第六八条および別表5)。ところが、被告は、同四二年一二月二七日原研労組に対し、右規則の第二〇条、第四一条、第六〇条および別表5を変更するにつき労働基準法第九〇条所定の組合の意見を翌四三年一月一〇日までに書面をもつて提出するよう申入れながら、右意見聴取が終了していない同年一月六日右規則変更を一方的に実施に移し前記業務命令を強行したのである。

さらに、被告は、新規則を実施して二箇月余り監督庁である水戸労働基準監督署に規則変更の届け出を怠り、同法第八九条にも違反した。

(ハ) 右業務命令は、労働条件の労使共同決定の原則に違反し違法たるを免れない。

JPDR部門における前述の直勤務体制の変更が労働条件の低下を来たすことは前述したところから明白である。本来労働条件は労働者と使用者が対等の立場において決定すべきものであり(労働基準法第二条第一項)、さようないわゆる労使共同決定事項については、使用者は積極的に団体交渉を行なうべき義務を負うだけでなく一方的に決定しないという義務をも負うものである。しかるに、被告は昭和四二年一一月一八日原研労組に対し、JPDR部門の前記直勤務体制の変更につき口頭で申入れを行ない、爾後同年一二月一七日までの間折衝が続けられたが、この間被告は、右の変更を不動の前提とする態度を維持する等誠意ある団体交渉を行わず、全く一方的にJPDR部門の直勤務体制の変更を決定し実施したものであるから、前記業務命令は違法である。

b 本件ロック・アウトは原研労組の弱体化を意図して行われたものであり、その目的において違法である。被告はかねてから原研労組を嫌悪し、その弱体化を企図しさまざまの策動を重ねてきた。すなわち、

高崎研究所の労務担当事務課員高橋俊雄は被告の意を承け、同所の従業員に対し原研労組の脱退、第二組合の結成を慫慂し、昭和三九年一月二二日従業員二二名をもつて高崎研究所従業員組合を結成し、その後も同所長の訴外宗像英二らとともに原研労組員および新入職員らに対し、原研労組を脱退し、あるいは第二組合に加入するよう強引に働きかけ、さらに従来原研労組に対しては全く認めなかつた掲示板、電話の使用などにつき第二組合に便宜を図るなどの不当労働行為に出た。

また被告は、昭和三六年一〇月五日付、同三七年一一月三〇日付各協定書にもとづき実施してきた組合費等のチェックオフの範囲を減縮することを企図し、同四二年一二月二六日前記協定の破棄を通告するとともに改悪案を提示してきた。

さらに原研労組の第一四期の執行部書記長好村滋洋が昭和四二年九月英国留学をする際、被告は本人の責に帰しがたい事務手続上の不満を理由に退職を強要した。

以上のように、被告はかねてから原研労組の正当な組合活動を嫌悪しその弱体化をねらつていたことは明白であり、本件ロック・アウトもその一環として行なつたものであつて、つぎのような具体的意図を有するものである。すなわち、

本件ロック・アウトは原研労組大洗支部が昭和四三年二月二八日被告に対し、大洗研究所の材料試験炉(以下JMTRという。)部門の直勤務に関する労働条件全般について要求を提出し、同年三月五日までに回答するよう求めて闘いにたちあがつていた状況のもとにおいて、同じく直勤務に関する労働条件につき闘争中の東海支部JPDR部門の組合員に強圧を加えることによつて大洗支部を動揺させようとしたものであり、原研労組の組織的動揺を意図した先制攻撃である。

2 態様の違法性

ロック・アウトが適法であるとされるためには、労働者の争議行為によつて企業の存立自体が危機に瀕し緊急已むをえない場合であるか、或いは労働者の争議行為により使用者に著しい損害を与えその損害が争議行為との関連において使用者の受忍すべき程度を超える場合に限られるが、本件ロック・アウトは、つぎに述べるとおり、右の二つのいずれの場合にも該当しない。

a 人的範囲の過剰性

原研労組は、昭和四三年二月二一日動力試験炉管理部第四課において直勤務を行う者のうち一直(午前八時ないし午後四時)の業務に就く者一〇名(うち六名は保安要員)につき指名ストライキを行つたところ、被告は同年二月二九日に、同年三月一日午前八時以降東海研究所のJPDR部所属の組合員一〇四名に対し無期限のロック・アウトを実施すべき旨を宣言した。本件ロック・アウトは、ストライキに入つた組合員数の一〇倍以上の範囲にも及ぶ攻撃的色彩の強いものであるといわなければならない。

b 物的範囲の過剰性

被告は、ロック・アウト宣言とともに、JPDR部の組合員に対しJPDRの施設内および東海究研所の全構内への立入りを禁止したにとどまらず、東京本部、高崎、大洗、大阪各研究所への立入りをも禁止した。右ロック・アウトにより、組合員は、東海研究所構内に在る原研労組事務所をはじめ食堂、体育館、寄宿舎、診療所、購売組合等の厚生施設への立入はすべて不可能となつたばかりでなく、JPDR施設内に存する組合員の私物の持出しすら禁止することとなり、私生活の面でも少なからざる影響を被つたのである。

なお、本件ロック・アウトは、JPDR部以外の職場に勤務する者及び東海研究所内の原子炉研修所の講座担当者(講師)にも向けられたが、原研労組の追及によつて被告は、昭和四三年三月二日一部組合員に対するロック・アウトを解除するに至つたのである。

c スト解除後における長期の継続

原研労組は、昭和四三年二月二九日被告のロック・アウト通告に接し同年三月一日午後一時ストを解除し就労を要求した。ところが被告は同月二一日までロック・アウトを継続した。

およそ労働条件を決定する場合、使用者は、労働者と対等の立場においてその代表者と誠意ある団体交渉を行うべきことはいうまでもないところであるが、被告は、前記ストライキ解除後も、JPDR部の直勤務体制につき原研労組と誠意ある団体交渉を行わず、本件ロック・アウトを継続することにより、組合を屈服させて被告の希望する四班三交替制に変更することに同意させることを企図したものである。

d 積極的加害性

ロック・アウトの対象となつた組合員江連秀夫、三坂侃、星蔦雄、山下修は、同年三月中に開催予定の各学会及び被告内部の研究発表会等に出席し、研究発表を行うため準備中であつた。

ところで被告に所属する従業員の学会および所内研究発表会への出席および研究発表は、被告自身の業務の遂行に必要であるばかりでなく(日本原子力研究所法第二二条、第二七条第一号参照)、技術者である組合員自身にとつても、自己の従来の研究成果を世に問うとともに、これを普及し、あわせて研究の資料を取得することにより、いわば研究者としての生命を保つために不可欠のものである。しかるに被告は、本件ロック・アウトによつて、前記従業員の学会及び所内研究発表会への出席を妨害した。被告のこのような措置は研究者である組合員の基本的要求を無視するにとどまらず、憲法第二三条の保障する学問研究の自由を侵害するものであり、許さるべきでない。

七、被告は、昭和四三年四月一五日原告らに対し、同月分の賃金を支払うにあたり、原告らが同月分として受取るべき賃金から別紙債権目録記載の各金員を控除して支払つた。ところで労働基準法第二四条第一項はその本文において賃金の直接全額払の原則を定め、賃金の一部控除は、同項但書の場合を除き許されないものとし、その違反者に対しては刑罰をもつて臨み(同法第一二〇条第一項)、労働者の生活保護の徹底を期しているのである。したがつて被告の右賃金控除は、同法第二四条第一項本文の規定に違反し許されない。

八、1 被告は、前述のように昭和四三年四月一五日原告らに対し同月分の賃金を支払うにあたり、原告らが同月分として受取るべき賃金から本件ロック・アウトにより就業できなかつた期間中の同人らの賃金を控除して支払つた。この控除した金額の明細は別紙債権目録記載のとおりである。

2 被告は、日本原子力研究所職員給与規程(三一規程第五号)第二一条第三項により、原子炉の終夜連続運転に従事する職員のうち、二直または三直に勤務するものに対しつぎの区分により特殊勤務手当(いわゆる原子炉等交替手当)を支給していた。

本給月額         一回の手当額

二〇、〇〇〇円未満の者          二〇〇円

二〇、〇〇〇円以上三〇、〇〇〇円未満の者 三〇〇円

三〇、〇〇〇円以上四〇、〇〇〇円未満の者 四〇〇円

四〇、〇〇〇円以上の者          五〇〇円

右の定めによれば原告加古俊昭ほか三三名の一回当り原子炉等交替手当額および本件ロック・アウトにより就業できなかつた期間、同人らが当時の直勤務編成に従い二直または三直に勤務することを予定されていた回数ならびにこれに対する原子炉等交替手当額は、別表1記載のとおりである。

3 被告は、前記規程第二一条第四項および放射線業務手当の支給に関する規程(四二達第五〇号)により、常時原子炉等の運転その他放射線業務に従事する職員に対し、その月の勤務すべき日数の半ば以上勤務した場合、つぎの区分により特殊勤務手当(いわゆる放射線業務手当)を支給していた。

区分  手当額

一号 四、〇〇〇円

二号 三、〇〇〇円

三号 二、五〇〇円

四号 二、二〇〇円

五号 一、七〇〇円

六号 一、二〇〇円

七号   七〇〇円

右の定めによれば原告宇賀丈雄ほか三四名が本件ロック・アウトの実施された昭和四三年三月分として支給を受けるべき放射線業務手当額は別表2記載のとおりである。

九、よつて、原告らは被告に対し、原告らが本件ロック・アウトにより就労できなかつた全期間の賃金である別紙債権目録記載の各金員及びこれに対する弁済期の翌日たる昭和四三年四月一六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

一、請求原因第一項1の事実を認める。

同第一項2の事実中、保健物理安全管理部所属の職員がJPDR部に勤務していたとの事実は否認する。右職員は保健物理安全管理部放射線管理課動力炉管理係に所属し、原告ら主張の期間その勤務の場所がJPDR施設のある場所とされていた者である。その余の事実は認める。

二、同第二項1、2の各事実はいずれも認める。

同第二項3、aの事実は否認する。原告らのいう五班三交替制のもとでは年間体日数は八六・五八日(休日五〇・〇五日、明三六・五三日)であり、四班三交替制のもとにおけるそれは九一・三二日(休日七〇・六一日、明二〇・七一日)である。原告ら主張の五班三交替制のもとにおける年間休日数八五日とは休日と明け休みを合計した日数であり、一方四班三交替制のもとにおける年間休日数六九日とは休日数だけであつて、明け休みを含まないものである。

また年間勤務時間数を比較してみても、五班三交替制のもとでは二〇五〇・七二時間であるのに対し、四班三交替制のもとでは二〇五七・二五時間であり、六・五三時間の増加をみるにすぎない。

同第二項3、bの事実を否認する。

三、同第三項の事実中、昭和四三年一月六日にJPDR部の一部組合員によりストライキがなされたこと、同年二月二一日より同年三月一日までの間JPDR部の一直勤務者の一〇名につきストライキがなされたことは認める。その余の事実は否認する。昭和三四年一月五日原研労組と被告との交渉は単なる折衝ではなく、団体交渉であつた。

四、同第四、第五項の各事実を認める。

五、同第六項1、a冒頭の事実を争う。

同第六項1、a、(イ)の事業中、被告と原研労組との間に昭和三八年五月三日付で原告等主張のような協定が締結されたこと、JPDR運転担当係については同年七月二一日付で、またJPDRに勤務する放射線管理室動力炉管理班の組合員については同年八月一五日付で、いずれも同年九月二六日以降の勤務態様は五班三交替によることとする旨の協定が締結されたこと、右協定がいずれも期間の定めのない労働協約であること、及び同四三年一月六日から改正規則の実施をしたことは認める。その余の事実は否認する。

昭和四三年一月六日から実施した改正規則による直勤務態様は、形式上は四班三交替制であるが、その実質は五班三交替制であり、原告らの主張する協約に違反するものではない。すなわち、右の協約によれば、JPDRの運転員等の勤務態様は五班三交替によるとされているが、五班三交替による勤務といつても、その実際の勤務編成がどうなるかは各班が業務に従事する直番の転換方式、各班が各直の勤務を一巡するに要する周期等の組合せにより、種々の編成が可能なのであつて、改正前の規則に定める方式によれば、五班がそれぞれ一直ないし三直の各直を、その順序で二日づつ連続して勤務し、明け、休みの二日の休日をとつた後、二日の日勤を連続して勤務し、一〇日の周期でこれを繰返えすという五班三交替制であつたが、改正後の規則の方式によつても、やはり五つの班がおかれており、そのうち四つの班が先ず一直ないし三直の各直を逆の順序で途中一日の休日をはさんで、三日ずつ連続して勤務し、さらに一日の休日をとつた後、一日の日勤を勤務し、これを一二日の周期で繰返すが、その間第五班は継続して日勤に従事しており、この日勤班は三六日を基準周期として順次各班が交替するという方式であつて、これを改正前の規則の方式と比較してみても、単に日勤の勤務の方式が違つているのにすぎず、このような方式による勤務態様もまた五班三交替による勤務ということができるのであつて、これをもつて前記協定に違反するということはできない。

同第六項1、a、(ロ)の事実中、被告が原告ら主張の規則を測定し、昭和三九年四月一日以降実施していたこと、右規則の原告ら主張の条項及び表によれば、その勤務番は原則として五班による交替勤務と規定されていたこと、被告が昭和四二年一二月二七日原研労組に対し、右規則のうち原告ら主張の条項及び表を変更するにつき、これに関する意見を同四三年一月一〇日までに提出するように申入れたこと、及び右意見提出期間中である同月六日から右規則の改正を実施したとの点は認め、その余の事実は否認する。

被告は、昭和四二年一一月二〇日原研労組に対し、右改正規則と同様のJPDRの直勤務基準の改正について、協定を締結したいので協議したい旨申入れ、翌二一日以降十数回に亘つて組合と交渉したが、組合の態度は具体的事項の協議に入ることを避けることに終始し、誠意をもつて交渉に応じようとせず、また交渉の経過からすると、規則の改正について意見を求めても、これに応じて意見の開陳をすることは期待できないし、かりに開陳したとしても右改正に反対することが明らかであつたので、同年一二月二七日右規則を改正し、これを同四三年一月六日から実施することにしたものである。

同第六項1、a、(ハ)の事実を否認する。

同第六項1、bの事実中、大洗支部が昭和四三年二月二八日被告に対し、大洗研究所のJMTRの直勤務に関する労働条件全般について三項目の要求を提出したことは認める。ただし回答の期限は同年三月六日までであつた。その余の事実は否認する。

同第六項2、aの事実中、原研労組の行つたストライキがJPDR部第四課において直勤務を行う者のうち一直に就く一〇名につきなされたこと、被告が昭和四三年二月二九日に、同年三月一日午前八時以降東海研究所のJPDR部所属組合員に対し無期限のロック・アウトを宣言し、実施したことは認める。ただしロック・アウトの対象者は一〇一名であつた。その余の事実は否認する。

同第六項2、bの事実中、被告がロック・アウト通告と同時にJPDRに勤務する組合員の東海研究所構内及び施設内への立入を禁止したこと及びそのうちには原告らの主張する講座担当者が含れていたことは認める。ただしロック・アウトの期間中、組合事務所には執行委員は勿論、一般組合員も自由に出入りしていた。その余の事実は否認する。

同第六項2、cの事実中、組合が昭和四三年三月一日午後一時に一直勤務の組合員の無期限ストライキを解除したこと、及び本件ロック・アウトを同月二一日まで継続したことは認める。その余の事実は否認する。

同第六項2、dの事実を否認する。

六、同第七項の事実中、被告が昭和四三年四月一五日原告らに対し、同月分の賃金を支払うにあたり、別紙債権目録記載の給与を減額して支払つたことは認める。その余の事実は否認する。

七、同第八項1の事実のうち、被告が昭和四三年四月一五日原告らに対し同月分の賃金を支払うにあたり、本件ロック・アウトにより就労できなかつた期間中の同人らの賃金を控除して支払つたこと、この控除した金員の内訳の別紙債権目録に記載したとおりであることを認める。

同第八項2の事実中、原子炉等交替手当の根拠規定および手当額の基準、および別表1、記載の原告らの本件ロック・アウトにより就労できなかつた期間に予定された二直、三直の勤務回数ならびに一回当りの手当額が同表記載のとおりであることは認める。

ところで、原子炉等交替手当は、原子炉その他の施設における連続運転に従事した者に対して支給される。すなわち、直勤務において一直、二直、三直を順次繰り返えす(夜勤務したり昼勤務したりする。)ことから生ずる肉体的精神的負担を考慮して、二直または三直の勤務に現実に従事した実績に応じて支給されるものである。それ故前記原告らは本件ロック・アウト期間中直勤務に従事しなかつたのであるから、右手当が支給されなかつたのは当然である。

同条八項3の事実中、放射線業務手当の根拠規定および同手当の区分、月額に関する点、および別表2、記載の原告らが本件ロック・アウトが実施された月の勤務日数の半ば以上現実に勤務したと仮定すれば、別表記載のとおりの手当額になることを認める。

しかしながら、放射線業務手当は、原子炉等の運転その他所定の放射線業務に現実従事した者に対して支給されるものであるが、その趣旨は、放射線の管理が十分に行われているにもかかわらず放射線業務に従事する者は放射線被曝に対する心理的負担が生ずるし、また施設の安全確保のためにより一層の責任が要求されるので、以上のことを考慮して特別の対価として支給することとしたのである。したがつて右の手当の支給は、放射線業務に現実に従事したか否かによつて決せられるものであつて、ロック・アウトの当否とはもともと関係がない。ところで前記原告らは、本件ロック・アウト実施期間中、放射線被曝に対する直接の心理的負担は勿論、安全確保に対する具体的責任を伴なう業務に従事しなかつた。それ故被告は、本件ロック・アウト実施期間中についても休暇、出張等の場合と同様に放射線業務手当の支給に関する規程第六条を適用し、本件ロック・アウトが実施された月の就労日数が一二日以下であり、その月の就労すべき日数二五日の半ばに達しなかつたため、右の原告らに対して同手当を支給しなかつたものである。

八、同第九項を争う。

(被告の主張)

その一

原告らは、被告が昭和四二年一二月二七日「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」を改正し、これを実施したことが、労働協約に違反し違法である旨主張するが、原告らの主張する労働協約は以下述べる理由により失効したものである。すなわち、

一、昭和三八年五月三日被告、組合間に成立した協定は、JPDR部の運転担当職員については同年七月二一日、放射線管理室動力炉管理班については同年八月一五日、それぞれ勤務態様の同一の事項に関し新たに別個な協定が成立したことにより、合意解約されたものであり、かりにそうでないとしても、当然その効力を失なつたものである。

二、JPDRの運転員等の勤務態様については、前項記載のように新協定が成立した後、さらに期間を区切つて各期間について勤務態様、勤務編成等を定めた協定が順次締結されたが、昭和三八年一一月一六日成立した協定の実施期間が満了した同三九年四月一日以降については協定が成立するに至らず、JPDRの運転員等の勤務は一旦通常勤務となつたが、同日被告はみぎ運転員等の勤務を五班三交替制とする旨の規則を定め、これを同月一三日実施した。したがつて昭和三八年七月二一日および同年八月一五日成立した協定、動力試験炉運転員等の勤務が通常勤務として行われることとなつた同三九年四月一日、または遅くとも、被告が同日制定した前示規則が実施され、組合がこれに対し何等異議を申立てなかつた同月一三日、暗黙の合意により解約され、またはその効力を失なつたものである。

その二

本件ロック・アウトは、以下に主張するとおり、原研労組の違法な争議行為に対抗するため緊急の措置として実施された正当なものであるから、これによつて原告らの就労が不能に帰したとしても、被告の責に帰すべき事由によるものではない。

一、被告がJPDRの連続運転につき、五班三交替制の直勤務体制を採用するようになつた経緯

1 被告は、JPDRの連続運転について、昭和三八年四月九日四班三交替制を基本とする直勤務編成の具体案を原研労組に提示し、さらに同月二六日一周期を八日とする二日転換方式の四班三交替制案を提示した。これに対し原研労組は、五班三交替制の採用を強力に主張した。そこで被告は譲歩して原研労組の要求を容れ、同年五月三日JPDR部の直勤務態様を五班三交替制とする旨の労働協約を締結したのである。

2 被告が組合の要求する五班三交替制に同意したのは、次のような事情を考慮した結果である。

(1) JPDRの建設、製作に関する契約は、昭和三五年八月三〇日被告と日本ゼネラル・エレクトリック株式会社との間に締結され、同三七年一二月までその建設工事が行われたが、その後JPDR機器の据付と平行して各種試験(運転前試験、性能試験、出力上昇試験)を行い、同三八年一二月一〇〇時間の連続定格出力の最終試験を経て被告の所有に移されたのであるが、以上の試験を行うための要員は、前記契約上被告において提供すべきものと定められ、さらに被告の責に帰すべき事由によりJPDRの完成が遅延した場合、被告は前記契約に基づき前記会社に対し遅延損害金を支払う義務を有していた。のみならず、JPDRは、発電用原子炉の建設、運転に関する実際上の知識、技術、経験を習得、蓄積する炉として我国において初めて建設運転されるものであり、これに対する国家的社会的関心と期待が極めて大きく、建設当初から関係産業界特に電力業界から多数の外来研究員が派遣されている折柄、JPDRを早急に完成させることは被告に課せられた重大な使命であつた。ところで、かつて東海研究所の試験用原子炉二号(JRR―II)の出力上昇試験の予定が組合のストライキ通告により実現できなかつたことがあり、また同三八年一月一九日以降同年三月二〇日迄の間に給与改定および超過勤務について組合のストライキが一五回実施されており、以上の労使関係に徴するとき、JPDR部の直勤務態様について被告が四班三交替制を固執した場合、組合は前記五班三交替制実施の要求を掲げて争議行為に及び、そのためJPDRの完成が遅延し、憂慮すべき事態を招来する結果となるのであるが、被告としてさような事態は極力回避しなければならなかつた。

(2) JPDRの運転に関する知識、技術、経験はこの炉を実際に運転しながら習得、蓄積せざるをえず、またその専門的な運転員も存在しなかつたので、JPDRの運転という現業的な業務に、多数の大学卒の研究系職員を充て運転手引書の作成、蓄積された運転資料の解析等運転以外の研究業務をも担当させることとし、四班三交替制よりも日勤日(通常勤務日)の割合を多く確保できる五班三交替制を採用し、その日勤日に前記研究業務を行わせることは、当時として必らずしも不適当ではなかつた。

二、被告がJPDR部の勤務態様を四班三交替制に変更し、これを実施しなければならなかつたのはつぎの理由による。

1 昭和三八年九月五班三交替制を実施した当初においては、前項2に記載したように直勤務の一〇日間の周期に連続二日の日勤日のある五班三交替制を採用する実益があつたが、昭和四一年秋頃になると、日勤日に遂行すべきものとされていた定常運転のための研究資料の集積および運転手引書の整備は完了し、その他運転員が行う研究的業務は前記のように断続的に到来する日勤日にこれを行うよりは、専らその担当する研究部署で行う方が効率的であるとされるなど、日勤日の必要性が消滅したばかりでなく、運転員は運転本来の業務に専念することによる分業と協業により、業務の組織的効率的運営と人員の積極的効果活用が被告の内外から強く要請されるようになつた。事実ここ数年来炉の運転を担当するJPDR部第四課の研究系の職員数も減少の傾向を辿り、同四二年一一月二〇日現在、運転要員五〇名のうち研究系職員は三名にすぎず、このように極めて少数の研究員のために特に日勤日を設けておく合理的根拠はなくなつた。そしてこの日勤日を廃止するためには、四班三交替制を採用せざるを得なかつたのである。

2 一方JPDR部運転員の直勤務は、通常勤務との間に休日等の労働条件につき不均衡が存しそのため処遇上公平を欠くばかりでなく、産業界特に電力業界における三交替制の直勤務にもその例をみないものであつた。

3 また、被告の予算上、近い将来において定員を増加し得る見通しがない反面、JPDRについては、これを従来の自然循環型から強制循環型に変更する計画がたてられそのための改造工事が昭和四三年秋から開始されることになつており、その建設要員を確保する必要が生じ、また大洗研究所において建設中の材料試験炉(JMTR)が同じく同四三年三月臨界に達し運転要員を確保する必要があつたが、以上の要員をJPDR部運転員をもつて充当しなければならず、人員の合理的で効率的な運用が要請されていた。この点からも四班三交替制とする必要があつた。

4 被告は、昭和四二年六月監督官庁である科学技術庁原子力局から、四班三交替制の採用について具体的検討をすすめるべきである、との指摘をうけ、さらに同年一〇月一九日付で科学技術庁原子力局長からJPDR部の五班三交替制について直勤務体制の改善を図るべきであるとの通告をうけた。

三、被告が東海支部に対し、JPDR部に勤務する職員の直勤務態様につき四班三交替制を採用する旨の協定案を提示してから、組合のストライキ突入にいたるまでの労使の交渉経過およびストライキ実施の状況

1 被告は昭和四二年一一月二〇日東海支部に対し、JPDR部の直勤務制度改正に関する協議を申入れ、協定案を提示した。同協定案によるJPDR運転職員等に関する直勤務の内容は、概略つぎのとおりであつた。

勤務は、四班三交替制により行うものとし、各直番の勤務時間は

第一直 午前八時から午後四時まで

第二直 午後四時から午後一一時まで

第三直 午後一一時から翌日午前八時まで

日勤  平日  午前九時から午後五時三〇分まで

土曜日 午前九時から午後一時まで

休日は、年間六七日の指定休日制とする。

そして被告、東海支部間の折衝は翌二一日から同年一二月二七日までの間前後七回にわたつて行われ、この間被告側は、通常勤務者と直勤務者との間における労働時間、休日数等労働条件の均衡を図り、直勤務における断続的日勤を廃止する等の改正の趣旨およびその内容、実施期間につき詳細な説明を繰返し、特に同年一一月二八日には労使懇談会を開き、日勤日に運転員に対し運転以外の業務を担当させる実益がなくなつたこと、したがつて日勤日を直の勤務編成から切離し一括して組織的定常的に運営すべく四班三交替制を採用することとなつた業務上の理由を説明した。これに対し東海支部は、被告の第一回の折衝における説明と労使懇談会における説明との間に喰違いがある故、その見解を統一した上でなければ交渉には応じられないとか、あるいは労使による現場作業の調査分析が先決問題である旨主張して容易に協定案の具体的事項の検討に入ろうとしなかつたが、結局組合側の主張は、安全性の上からいつて三〇分の引継時間は制度として維持する必要があり、勤務時間数、休日数の均衡化の問題についてもその理由が薄弱であり業務面について不明な点が多いので遂一現場で確認していく必要があるとし、要するに四班三交替制の必要性の有無を業務の面から共同で調査することを要求し、交渉はそれ以上進展しなかつた。そこで被告は、昭和四二年一二月二七日開催された団体交渉の席上、JPDRの直勤務制度の改正についてはなお組合と交渉を続けるが、これまでの交渉の経過ならびに組合側の態度に照らし遺憾ながら協定締結の具体的見通しがたたないので、本日「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」を改正し、翌四三年一月六日から実施する旨通告した。改正規則による運転員等の勤務編成および勤務条件の要旨はつぎのとおりである。

勤務時間

一直 午前八時から午後四時まで

二直 午後四時から午後一〇時三〇分まで

三直 午後一〇時三〇分から翌日午前八時まで

日勤 平日  午前九時から午後五時三〇分まで

土曜日 午前九時から午後一時まで

休日は指定休日制とし、年間六七日とする。

勤務割は所属長の定めるところによるものとし、原則としてつぎの(1)又は(2)の表によるものとする。

(1)

第1日

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

III

III

III

II

II

II

II

III

III

III

II

II

III

III

III

II

II

II

I

I

I

II

II

II

I

I

I

III

III

III

第五班をEとし、E班は日勤とする。但し日勤班は三六日を基準周期として順次A~D班と交替する。

休は休日、日は日勤であるが、休と合せて年間休日数が六七日となるように休日に指定される。

(2)

第1日

2

3

4

5

6

7

8

I

I

II

II

III

III

II

II

III

III

I

I

III

III

I

I

II

II

I

I

II

II

III

III

第五班および日勤日の休日指定については、(1)と同じ。

そしてみぎの改正規則は、実施予定日に組合の部分ストライキが実施されたため、翌七日から実施されることとなつたが、その実施に当り休日は年間七〇日と変更され、また勤務割は前記勤務割のうち(1)により実施された。

2 他方、団体交渉は昭和四三年一月五日から二月六日までの間に七回にわたり続けられたが、東海支部は業務命令の撤回、三〇分の引継時間制度の存置等の要求を繰返えすだけであつた。ところで、JPDRは同年二月一三日定期検査を終了し、同月一五日から運転前機能試験を行つて同月二一日運転を再開することとなつていたところ、組合は同月一九日業務命令の撤回、三〇分の引継時間の制度化等五項目の要求を行つた上、翌二〇日JPDRの運転再開を阻止する目的で、JPDR部の一直の運転員の翌二一日からの無期限ストライキを通告し、同日から実施した。JPDRは長期間運転を停止した後これを再開する場合、定格出力に達するまでに一六時間以上を要するため、一直がストライキに入ると、二直が起動を行ない運転を開始するとしても、三直の勤務が終了するまでに定格出力までに達せず、かりに達したとしてもこれに続く一直勤務員のストライキにより再び運転が停止されることとなり、このような起動、停止を繰返えしても意味をなさず、かえつて温度の上昇、下降を繰返えすことにより炉の圧力容器の寿命を短縮するおそれがあつたので、結局一直運転員のストライキにより被告はJPDRの運転を全面的に停止せざるをえなかつた。しかしながら被告は炉を運転停止のまま放置することは許されないので、やむなく日勤班八名に対し一直の勤務に就くよう業務命令を発し炉を運転しようとしたが、組合は同月二六日以降これらの者の指名ストライキを実施して炉の運転を阻止した。以上のように炉の運転再開は組合のストライキの実施により全く不可能となつた。ここにおいて被告は同月二九日組合に対し、同年三月一日以降JPDR部に勤務する組合員に対し、ロック・アウトを実施する旨を通知し、同日から実施した。

四、本件ロック・アウト実施の具体的理由

1 前述のように組合のストライキ実施により、炉の運転を全面的に停止せざるを得なくなつたが、そのため運転要員の養成、運転保守のための要員の養成、各種試験研究、開発研究の遂行に障害を生ずることとなり、被告の国家的社会的使命に反するばかりでなく、運転の停止が長期化すると炉施設の機能の低下ないし障害を生じ、さらに中性子源の減衰を来たす。

2 JPDR部の組織および分掌事務はつぎのとおりである。

第一課 JPDRの庶務に関する事項

第二課 <1> JPDRの技術資料の解析および保管に関すること

<2> JPDRにおける化学分析に関すること

<3> JPDRの調査研究および開発に関すること

<4> 軽水型臨界実験装置の運転および研究に関すること

第三課 JPDRの維持および保守に関する事項

第四課 JPDRの運転に関する事項

ところで、炉の運転を全面的に停止すると、みぎ第四課および保健物理安全管理部所属の運転員等のみならず、前示第一ないし第三課所属の従業員の業務も停止ないし停滞する。それにもかかわらず被告はこの従業員に支払う経費一日金一九万七、〇〇〇円を負担しなければならず、また炉の運転による発電によつてまかなつていた東海研究所内の消費電力を外部から購入することになるほか、余剰電力の売却による収入一日約五〇万円を失う結果となる。

五、被告がロック・アウトを実施するや、原研労組は昭和四三年三月一日午後一時から無期限ストライキを解除する旨通告してきたが、被告が同月一九日までロック・アウトを継続したのは、つぎの理由による。

1 原研労組の闘争方針は、従来の例に見られるように要求貫徹まで長期に波状的に、しかもストライキの拠点をつぎつぎに拡げて徹底的に戦うのが特徴であつて、前記ストライキも同様の経過をたどつており、現に本件ロック・アウトを開始した三月一日には研究用原子炉(JRR12、3)について部分ストを、執行委員について指名ストを実施し、翌二日には午前一一時から一時間の全面ストライキを実施すべく準備中であつた。ところで原研労組は、同四二年九月一九日の第六回中央大会においてスト権を集約して闘争態勢をとつており、またJPDRに関する闘争を被告の人員合理化方策に対する全所的闘争の拠点であると公言し、長期にわたつて闘争を展開することを予定していたものであり、本件ストライキを解除したものの、みぎのような闘争態勢を解いたわけではない。

2 被告は組合からストライキの解除通告を受理した時に、それが労働組合の一般戦術にならつたものであると感じたので、被告は組合に対し、以後ストライキを実施しないのかどうかを問い質したところ、組合は回答を避けた。したがつて被告としては、組合が、ロック・アウト解除後、ストライキを行う意思がないとうけとるわけにはいかなかつた。

3 被告は事業を円満に解決すべく組合に対し、さらに懸案事項についての折衝を申入れ、同年三月一日折衝を行なつたのであるが、その席上組合は依然前示五項目の要求貫徹を固執し、その態度は極めて強硬なものがあり、被告としては、ロック・アウトを今直ちに解除するときは組合はそれにつけ込んでストライキを実施するであろうとの懸念を払拭することができなかつた。

以上のように、スト解除の通告があつたからといつて、ロック・アウトを解除するときはまたまたストライキの実施によつて莫大な損害を被り、労使間の紛争解決は益々遠退くこととなり、被告のおかれている社会的立場からいつても組合のスト解除通告に応じて軽々しくロック・アウトを解除することは許されないと判断したので、組合が最早ストライキに突入することはないとの情勢判断が得られるまではこれを維持したのである。もとより被告は、その使命と立場上から組合との交渉をできるだけ行なつて解決すべく同年三月二日以降組合と事務折衝ないし団体交渉を行なつたが、組合は容易に交渉に応ずる態度を示さず、また話合に入つても従来の強硬な態度を維持し、ともすれば険悪な空気が漂う状況であつたが、同月一九日被告は事態の円満な解決のため、組合に対し譲歩案を提示して説得を重ねた結果、漸く変則五班三交替制の採用、一五分の引継時間の制度化、休日数等について合意に達した。そして翌二〇日は春分の日に当り組合員の就労準備のことも考慮し同月二二日にロック・アウトを解除することに双方の合意をみた。かくて同月二一日被告は組合に対し、翌二二日午前八時ロック・アウト解除の通告をしたものである。

(被告の主張に対する応答)

その一について

被告の主張はすべて争う。

その二について

(一) 一、1の事実のうち、被告が組合に対し譲歩しその要求を容れて五班三交替制とすることに合意したとの点を否認する。

同2の事実のうち、昭和三八年当時、JPDRの運転員等の直勤務態様を五班三交替制とすることは、被告が主張するようにやむをえない措置ではなかつたのであつて、事実被告は同三五年当時から五班三交替制の採用につき準備をしていたものである。

(二) 二、1の事実は否認する。昭和四一年以降現在に至るまで、五班三交替制はなお合理性を有する。

同2、3の事実は争う。

(三) 三、の事実のうち、被告主張の期間に労使間に会合がもたれたことおよびその回数、被告が昭和四二年一二月二七日「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」を改正し同四三年一月六日から実施する旨を組合に通告したこと、この改正規則による運転員等の勤務編成および勤務条件の概略が被告の主張するとおりであること、組合が同四三年二月二〇日JPDR部の一直の運転員につき翌二一日から無期限ストライキに入るべき旨を通告し、実施したこと、組合が同四二年二月二六日以降日勤者に対し指名ストライキを実施したことは認めるが、前示労使間に行われた会合の経過および内容、前示無期限ストライキの目的、被告がJPDRを全面停止した理由および本件ロック・アウトを実施した理由については否認する。

前記労使間に行われた会合は、およそ団体交渉と称しうるものではなかつた。すなわち昭和四二年中の会合は、被告が既に不動のものとして決定した案を決裁権限のない者が機械的に説明したにすぎず、その根拠等につき釈明を求められても回答せず、またみぎの説明も矛盾が多く、組合が責任者である理事出席の上団体交渉を開くことを申入れてもこれに応ずることなく、全く一方的に業務命令をもつてみぎの案を強行実施したもので、この間における労使の会合は単なる被告の事務的な説明会にすぎない。同四三年一月に入つてからの労使の会合もまた同様で、被告は違法な業務命令を押付けることにのみに腐心し、組合の意向とか要求には耳を籍さなかつた。

(四) 四、の本件ロック・アウト実施の具体的理由についてはすべて争う。

(五) 五、の事実のうち、組合が昭和四三年三月一日研究用原子炉について部分ストを、執行委員について指名ストを実施したとの点を否認し、本件ロック・アウトを継続した理由として掲げるところはすべて争う。この点に関する被告の主張は、合理的根拠に乏しく、かつ組合に対する予断と偏見に満ちた独善的なものである。ロック・アウト継続の真の目的は、JPDRの運転員等の直勤務態様を四班三交替制とすることにつき組合の合意を得ようとした点に在る。

証拠<省略>

理由

一 被告は、昭和三〇年一一月三〇日発足した財団法人原子力研究所が、日本原子力研究所法に基き同三一年六月一五日特殊法人日本原子力研究所となつたものであり、原子力基本法の趣旨に従い原子力の開発に関する研究等を行うことを目的とし、主たる事務所(本部)を東京都港区新橋一丁目一番一三号に、従たる事務所(研究所)を茨城県那珂郡東海村、高崎市、茨城県東茨城郡大洗町、大阪等に有し職員約二〇〇〇名を擁するものであること、原告らは、いずれも東海研究所内のJPDR部および保健物理安全管理部に所属し、昭和四三年三月一日から同月二一日までの間JPDR施設に勤務していた職員であり、被告の職員で組織された原研労組の東海支部の組合員であること、JPDR部においては、一日二四時間を三分し、職員が交替で勤務することによつてJPDRの連続運転が行われているが、この三分された各勤務時間を直といい、このような勤務体制を直勤務と称し、第一の勤務時間帯を一直、第二のそれを二直、第三のそれを三直と称していること、被告と原研労組との間には昭和三八年五月三日付で「昭和三八年九月二六日以降のJPDRにおける労働条件中、勤務態様およびこれに関連するものについては五班三交替制として取り決めるものとする。」旨の協定が締結され、さらにJPDR運転担当係については同年七月二一日付で、またJPDRに勤務する放射線管理室動力炉管理班については同年八月一五日付で、それぞれ同年九月二六日以降の直勤務態様を五班三交替制によることとする旨の協定が締結されたが、以上の協定はいずれも期間の定めのない労働協約であること、被告は昭和三九年規則第二号「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」を制定し、同三九年四月一日以降実施してきたが、同規則第二〇条、第二一条、第四一条、第四二条、第六〇条、第六八条および別表5によれば、JPDRの直勤務は原則として五班による三交替勤務とされていたこと、同四二年一二月二七日被告は前記規則を改正した上、JPDRに勤務する組合員に対し、同四三年一月六日以降新たな直勤務体制である四班三交替制に服すべき旨の業務命令を発したこと、同四三年一月六日JPDR部の一部組合員によりストライキが実施され、さらに同年二月二一日からJPDR部の一直勤務者の一〇名によりストライキが実施されたこと、被告は同年三月一日午前八時から同月二一日午前八時までの間JPDR部に勤務する組合員に対し本件ロック・アウトを実施したことおよび原研労組は同月一日午後一時右ストライキを解除し就労を要求したことは当事者間に争いがない。

二 成立に争いのない甲第一号証の一、二同第二号証同第四二号証乙第六号証の一、八、一〇、一三ないし一六同第七号証の二同第一七号証の一同第三六号証の一証人高島教一郎、坂本昌隆、月田七雄の各証言を総合すると、つぎの事実が肯認でき、この認定を左右するに足りる証拠は存在しない。すなわち

1 被告の東海研究所において、JPDRへの燃料搬入が終わりJPDR建設部による各種試験が最盛期に入つた昭和三八年五月、JPDRの運転関係者の二四時間連続勤務(直勤務)に関する労働協約が被告と原研労組との間に締結され、実施されることになつた。すなわち同月三日右の直勤務態様に関し、JPDRの臨界到達の予定日である同年六月二〇日までは四班三交替制を採用し、JPDRが完成し日本ゼネラル・エレクリック株式会社から被告に対する引渡が予定されていた同年九月二六日以降は五班三交替制を採用する旨の協定が締結され、さらにJPDR建設部(後のJPDR部)のJPDR運転担当員の直勤務態様については同年七月二一日、放射線管理室JPDR管理班の直勤態様については同年八月一五日、いずれも同年九月二六日以降五班三交替制によることを定めた労働協約が成立し、以上の協約に基づき、人員、勤務編成、勤務時間、休憩時間、手当等について「了解事項」の名のもとに協定が締結され、直勤務の具体的実施をみたのである。これを五班三交替制による直勤務の実施についてみると、同年九月一七日、同月二五日、同年一〇月一八日、同年一一月一六日、同三九年四月二日の前後五回にわたり「了解事項」と題する書面により直勤務に関する前記具体的事項につき合意が成立し実施されてきたが、同年四月一六日以降は、同月一日付39規則第2号「東海研究所において特殊な業務に服する職員の勤務に関する規則」により五班編成の直勤務が実施されてきた。右規則に基づくJPDR運転員およびJPDR放射線管理室員の直勤務編成は次表のとおりであつて、A班、B班、C班、D班、E班の五班がそれぞれ一直ないし三直を順次二日づつ連続して勤務し、明け、休日の二日を経た後、日勤を二日連続して勤務し、以上一〇日の周期でこれを繰返えすというものであり、勤務時間はつぎのとおりであつた。

一直 午前八時から午後四時三〇分まで

二直 午後四時から午後一〇時三〇分まで

三直 午後一〇時から翌日午前八時三〇分まで

日勤 平日  午前九時から午後五時三〇分まで

土曜日 午前九時から午後一時まで

なお右の各直の勤務時間帯が三〇分重復するのは、後に触れるように三〇分の引継時間制度の採用を意味する。

第一日

I

II

III

第二日

I

II

III

第三日

II

III

I

第四日

II

III

I

第五日

III

I

II

第六日

III

I

II

第七日

I

II

III

第八日

I

II

III

第九日

I

II

III

第一〇日

I

II

III

2 ところで、成立に争いのない甲第三号証の一、二、三乙第七号証の三、四証人内田俶孝、月田七雄の各証言を総合すると、被告は昭和四二年一二月二七日前記規則の一部を改正する規則を定めるとともに、「動力試験炉運転員等の勤務割の報告等について」と題する通達を発し、以上を同四三年一月六日から実施する旨の業務命令を発したこと、この業務命令により実施されたJPDR運転員およびJPDR放射線管理室員の直勤務編成は次表のとおりであつて、A班、B班、C班、D班の四班がそれぞれ一直および三直を順次三日づつ連続して勤務し、休日を一日とつた後、二直を三日連続勤務し、休日を一日とつた後、日勤を一日勤務し、以上一二日の周期でこれを繰返えすという逆転換方式の四班三交替制であり、勤務時間はつぎのとおりである。

一直 午前八時から午後四時まで

二直 午後四時から午後一〇時三〇分まで

三直 午後一〇時三〇分から翌日午前八時まで

日勤 平日  午前九時から午後五時三〇分まで

土曜日 午前九時から午後一時まで

第一日

II

III

第二日

III

II

第三日

III

II

第四日

III

II

第五日

III

II

第六日

III

II

第七日

III

II

第八日

II

III

第九日

II

III

第一〇日

II

III

第一一日

II

III

第一二日

II

III

3 以上説示したところから明らかなように、本件業務命令における四班三交替制と昭和三八年七月二一日付および同年八月一五日付各労働協約において定められた五班三交替制とは、直勤務の内容を異にするものであつて、本件業務命令はJPDR施設における直勤務者の労働条件の変更を意味する。したがつてさような業務命令は、前示労働協約に違反するから、もとより原告ら組合員を拘束するものではなく、原告らは本件業務命令による四班三交替制の直勤務を拒否することができるものといわなければならない。

4 (一) 被告は右の点に関し、本件業務命令により実施されたJPDR施設における直勤務体制は、形式上は四班三交替制であるがその実質は五班三交替制であり、前示労働協約に違反するものではない旨主張するので、この点につき検討を加える。

成立に争いのない乙第三六号証の三証人内藤俶孝、村主進、月田七雄の各証言を総合すると、前示昭和四二年一二月二七日付「動力試験炉運転員等の勤務割の報告等について」と題する通達により所属長の作成した勤務編成表によれば、従前の五班編成はそのまま存置し、そのうち四班が直勤務に入り、他の一班を日勤班とし三六日の日勤(通常勤務)を経て直勤務に組み入れ、他の班と逐次交替させる建前となつており、この勤務方式は本件業務命令の際も口頭で申入れたものであることが認められるが、他方被告は同時に、さような変則的な直勤務態様はJPDR―II(当時のJPDRにつき強制循環型の熱出力二倍(九〇メガワット)に改造したもの)の改造工事の開始を予定していた同年九月までの過度的、暫定的な措置であり、右のJPDR―IIの直勤務方式としては、前示労働協約にもとづき同三八年九月一七日まで実施してきた四班三交替制を採用することを当然の前提として業務命令を発したこともまた前顕諸証拠により明らかである。のみならず前顕甲第二号証乙第六号証の一二ないし一六同第七号証の二証人内藤俶孝、坂本昌隆、月田七雄の各証言を総合すると、前示昭和三八年七月二一日付および同年八月一五日付各労働協約に基づき実施された五班三交替制の直勤務においては、五班が常時直勤務に服していたことが認められ、以上の事実と前記各証人の証言ならびに弁論の全趣旨を総合すると、右の各労働協約に定める五班三交替制とは、前示のように五班が常時直勤務に服する直勤務体制を意味するものと解するのが相当である。してみれば、前述のように五班のうち四班が直勤務に服し、他の一班が日勤に服することを建前とする直勤務体制の場合と、右の労働協約にいう五班三交替制の場合とでは、直勤務者の労働条件に異同を生ずることは明らかである。したがつて被告の前示主張は採用の限りでない。

(二) つぎに被告は、昭和三八年五月三日成立した前示労働協約は、右の同年七月二一日付および同年八月一五日付各労働協約の成立により、結局その効力を失つたものである旨主張するが、かりに被告の主張が正鵠を射ていたとしても、さようなことと、本件業務命令が右の七月二一日付および八月一五日付各労働協約に違反するかどうかということとは何等の関係もないことは縷説を要しないであろう。

(三) 被告はさらに、右の各労働協約は、JPDRの運転員らが通常勤務に服することとなつた昭和三九年四月一日、または被告が同日制定した前示規則(39規則第2号)が実施され、東海支部がこれに対し何等異議を申立てなかつた同月一三日、暗黙の合意により解約され、またはその効力を失なつた旨主張するので、以下この点について審究する。

前顕甲第二号証乙第六号証の一四ないし一六、証人内藤俶孝の証言とこれにより成立を認める乙第三三号証の一ないし三証人高島教一郎、菊地務、月田七雄、古畑仁徳の各証言を総合すると、JPDR施設における直勤務につき五班三交替制によることを定めた前示両労働協約に基づき直勤務を実施するため、前述のように昭和三八年一〇月一八日および同年一一月一六日、人員、勤務編成、勤務時間、休憩時間、手当等につき協定が締結されたが、同三九年四月一日以降の直勤務の実施については、同年三月三一日における被告、東海支部間の徹夜の折衝にもかかわらず前記具体的事項に関し合意をみるに至らず、そのためJPDRの運転員等はやむなく通常勤務に服することとなつたこと、右の合意不成立の経緯についてみると、前記折衝において、東海支部が同年四月一日以降の直勤務の実施についても従前の協定と同一条件によることを主張したのに対し、被告は手当以外の事項については東海支部と同調したが手当については改訂を強く主張したため、結局前記具体的事項の全般につき合意が成立しなかつたこと、および同三九年四月二日成立し即日実施された協定および同月一日制定され同月一六日実施された前示規則(39規則第2号)には、いずれも五班三交替制を前提とする直勤務編成が定められていることが認められ、以上の認定を左右するに足りる証拠は存在しない。しこうして以上の事実と前記各証人の証言を総合すると、JPDR施設における直勤務員が通常勤務に服した同年四月一日および前示規則が実施された同月一六日の各前後を通じ、被告および東海支部はひとしくJPDR施設における直勤務の実施については従前どおり五班三交替制を維持する意思を有していたことが肯認できるのである。

以上のようなわけで、被告の前示各主張はすべて理由がないものというほかはない。

三 被告は、本件ロック・アウトは、原研労組の違法な争議行為に対抗するため緊急の措置として実施された正当なものである旨主張するので、以下右の点につき検討をすすめる。

1 (一) 成立に争いのない甲第六号証の一、二同第九号証の一、二同第三四号証乙第八号証の一、二、五ないし七、一二、一七、二一、二三、二八同第一三、第一四号証同第三六号証の一、三、五、八同第三七号証同第四二号証の一、二原本の存在ならびに成立に争いのない甲第五号証同第七、第八号証証人月田七雄の証言とこれにより成立を認める乙第三四号証の一同第三八号証証人内藤俶孝、小野寺俊美、菅井正晴、村主進、古畑仁徳、角田道生(第一、二回)の各証言を総合すると、つぎの事実が肯認でき、この認定を覆えすに足りる証拠は存在しない。すなわち

被告は昭和四二年一一月二〇日書面(乙第八号証の一添附の「動力試験炉における連続勤務に関する協定書(案)」と題する書面)により、東海支部に対し、JPDRに勤務するJPDR部および保健物理安全管理部各所属組合員の直勤務に関し、従前の五班三交替制を四班三交替制に改め、かつ直交替の際の三〇分の引継時間制度を廃し、さらに年間休日数を六七日とすること等を内容とする協定案を提示し、協議を申入れた。そして被告と東海支部ないし原研労組との間に、同月二一日から同年一二月二七日までの間前後七回にわたり折衝が重ねられた。この間における被告の主張は、要するに直勤務者と通常勤務者との間の労働条件(年間の勤務時間、休日数等)の均衡をはかり、人員の効率的配置と業務の効果的組織的運営のために四班三交替制の採用が必要であるとし、これに対し組合側は、四班三交替制を採用すべきかどうかは昭和三八年五月三日付協定(乙第六号証の一)に定めるように、原子力の研究開発というJPDR施設の目的、運転の安全性、運転員の健康の維持および教育訓練による技術の向上の見地から作業の実態に即して検討すべきであり、かような立場から判断するとき五班三交替制は維持すべきであるとの態度を堅持し四班三交替制の採用に反対した。そして前示提案に対する具体的意見としては、(一)三〇分の引継時間は制度として必要である。(二)三直のつぎの日は明け休みであり、これを一般の休日とみなして通常勤務者の休日数との均衡をはかることには反対する。(三)JPDRの運転員は一班につき二年以上の経験者八名以上を必要とする。以上の点に要約されるが、要するに従前の五班三交替制は維持すべきであるとの態度を堅持した。かくして両者の主張は平行線を辿るだけで妥結の見通しも立たないまま、同年一二月二七日被告は前叙のように業務命令を発したのである。その後も被告は四班三交替制の直勤務方式につき組合の同意を得て労働協約の成立をはかるべく組合に対し交渉を申入れ、昭和四三年一月五日から同年二月六日までの間七回にわたつて折衝が行われたが、同日の折衝においても組合は、直勤務者全員につき一律三〇分の引継時間を制度として存置すべき旨の従前の主張を繰返えすとともに、従前の直勤務員五班のうち一班を日勤班として常置することを協定書に明文化することを主張したのに対し、被告は、直の引継ぎは必要なときに必要な人員につき必要な時間を超過勤務として行なえば足りるとし、また五班のうち一班をもつて充てる日勤班の制度は昭和四三年九月に予定された前述のJPDR―IIの改造工事開始までの暫定的、経過的措置にすぎない旨主張して譲らなかつた。そしてこの間原研労組はJPDRの直勤務制度の改正に抗議して同年一月六日午前八時から翌七日午前八時までJPDR部所属組合員、保健物理安全管理部所属JPDR勤務組合員、東海支部執行委員等につきストライキを実施し、さらに同月三〇日午後二時三〇分から同四時まで東海支部組合員全員につきストライキを実施した。その後同年二月一九日東海支部は被告に対し書面(乙第三七号証)をもつて、「直ちに業務命令を撤回し話合に応ずること」「引継ぎ時間を制度として全員にひとしく三〇分認めること」「直勤務者の勤務時間数が通常勤務者よりも多くならないこと」等五項目の要求を申入れ、翌二〇日この要求のもと無期限ストライキを宣言して翌二一日午前八時からJPDR部第四課に所属し一直の業務に就く組合員につきストライキを実施した。同月二八日被告は右ストライキの実施につき、理事長、副理事長以下幹部が協議した結果、組合の五項目の要求貫徹の強固な態度に対しロック・アウトをもつて対抗することを決意し、同月二九日原研労組に対しロック・アウトを宣言し、同年三月一日午前八時以降、JPDRに勤務するJPDR部および保健物理安全管理部各所属組合員に対し本件ロック・アウトを実施した。そこで原研労組は同日午後一時前示ストライキを解除し、同月四日書面(甲第八号証)をもつて就労を請求したが、被告はこれを拒否した。その後も被告と原研労組との間に交渉が行われたが、双方の態度に漸く妥結の兆が見え、JPDRの直勤務は四班三交替制により行なうこと、ただしJPDR―IIの改造まで暫定的に、通常勤務に服する日勤班(一班)をおき三六日を基準周期として直勤務に組入れること、一五分の引継時間を制度として直勤務者全員に認めること、以上の点等につき合意が成立し、被告は来る二二日本件ロック・アウトを解除する旨の意思を表明し、同日本件ロック・アウトは終息を告げるにいたつた。

(二) 以上に認定した事実関係および証人月田七雄、古畑仁徳の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合検討すると、本件ロック・アウトは、四班三交替制に基づく直勤務の実施を内容とする前示業務命令の撤回を要求して実施したストライキを排除して右業務命令を強行し、この既成事実のもとに原研労組をして四班三交替制を採用する労働協約を締結させることを本来の目的として行なわれたものということができる。しかも右の業務命令は四班三交替制による直勤務の実施を求める点において労働協約に反し原告ら組合員を拘束できないものであり、原研労組はこの業務命令の撤回を求めてストライキを実施し、該命令に基づく就労を拒否したのに対し、被告がその対抗手段として本件争議行為に出たことは上記説明したとおりである。

2 被告は、本件ロック・アウトを実施した具体的理由として、前示ストライキによりJPDRの運転を全面的に停止せざるを得なくなるが、その結果、(イ)運転要員、保守要員の養成、原子力の各種試験研究、開発研究の遂行に重大な障害を生じ、被告の国家的社会的使命に反するばかりでなく、運転の停止が長期化すると炉施設の機能の低下ないし障害を生じ、中性子源の減衰を来たし、(ロ)JPDR部第一ないし第三課の従業員の業務が停止ないし停滞するのにかかわらず、これら従業員に支給する給与は一日につき金一九万七、〇〇〇円に達し、またJPDRの運転により自給してきた東海研究所内の消費電力を外部から購入することになるほか、余剰電力の売却による収入も杜絶することになる旨主張するので、この点につき以下検討を加える。

(一) 成立に争いのない乙第八号証の一三証人村主進、古畑仁徳の各証言を総合すると、JPDR部第四課の一直運転員の実施した前示ストライキの結果、被告は、事実摘示被告の主張その二の三、2 所掲の理由によりJPDRの運転を全面的に停止せざるを得なくなつたこと、そのため被告は、右ストライキ実施中の昭和四三年二月二六日JPDR部第四課の日勤班に対し、一直勤務に就くよう業務命令を発したが、日勤班がストライキを実施してこれを拒否したので、さらに翌二七日JPDR部の直勤務を経験した従業員に対し右ストライキ部門に就業させるべく第四課員の兼務命令をするなどしてJPDRの運転再開を企図したことが肯認できる。さようなわけで前示ストライキは、JPDRの全面的運転停止を結果したことは首肯できる。

(二) ところで、成立に争いのない乙第一六号証の一、二と証人村主進の証言を総合すると、JPDRは、動力炉プラントの運転および保守に関する実験経験を得ること、動力炉系の特性を理解するため、実験、試験を行なうこと、燃料要素の性能試験、舶用炉への応用等を含め、各種の研究および開発を行なうことを目的とするものであり、この目的は、JPDRの運転によつてその達成が可能であることが認められる。したがつて抽象的にいえば、JPDRの運転を停止すれば右目的の達成は阻止されるということができよう。しかしながら成立に争いのない甲第一六号証の一、二、三と証人小野寺敏美、村主進の各証言を総合すると、JPDRは定期検査を受けるため昭和四二年一一月から運転を停止されたが、被告は当初同四三年一月下旬に運転の再開を予定していたところ検査の完了が遷延したことなどから最終的には同年二月二一日に再開を予定していたこと、JPDRは過去においても幾度か運転を停止してきたこと(すなわち昭和四〇年七月の一箇月、同四一年六月ないし八月の三箇月、同四二年三月、七月の各一箇月等)が認められるのであるが、他方前示ストライキは昭和四三年二月二一日、前述のように被告が予定していた運転再開の機会を捉えて開始されたところ、本件ロック・アウトは右ストライキ実施後一〇日目に開始されたことは上記説明したとおりである。したがつて本件ロック・アウト開始当時は、右のストライキによつて被告の所期する運転再開が旬日の間遷延したことになるが、この時期において、被告がJPDRの運転により遂行を迫られている具体的な業務内容については、被告において何ら主張、立証するところがない。またJPDRの運転再開が前述のように旬日遷延したことにより、特にその機能の低下ないし障害を生じ、あるいは中性子源の減衰を来たしたという点については、これを肯認するに足りる何らの証拠も見出しえない。

(三) つぎに被告はJPDR部第一課ないし第三課所属従業員に支払う経費一日当り金一九万七、〇〇〇円の支出を云為するが、この人件費の支出はJPDRの運転停止とは何らのかかわりもないことがらであつて、問題はJPDRの運転を前提とする右従業員の業務の遂行が、運転の停止によつて阻止されることである。しかしながら本件ロック・アウト開始当時、具体的に業務の遂行を必要とするさしせまつた事情の認むべきものは何ら存在しないこと前に説示したとおりである。

(四) さらに被告は、JPDRの運転停止により東海研究所が必要とする電力を外部から購入することになり、またJPDRの運転によつて生ずべき余剰電力の売却による収入も杜絶する旨主張するが、本来JPDR運転の目的は前説示のとおりであつて企業として行われるものではなく、このことは東海研究所の事業上東京電力株式会社から購入する電力料金が一キロワットアワー当り金六円ないし七円であるのに対し、同会社に売却する電力料金は一キロワットアワー当り昼間が金一円余、夜間が金一円に満ない事実が雄弁に物語つているし、さらにJPDRが前述のように昭和四〇年から同四二年七月までの間、一箇月ないし三箇月にわたり運転および発電を停止された事実および同年一一月定期検査のため運転および発電が停止され、翌四三年二月二一日運転再開の予定が前示ストライキにより旬日遷延したにすぎない事実を合わせ考えるとき、かりに被告の主張するとおり東京電力株式会社から電力を購入し、かつ余剰電力を同会社に売却することにより得られる筈の収入が杜絶したとしても、被告はそのために重大な経済的打撃を被むつたものと即断するわけにはいかないのであつて、以上のような点から考えても本件ロック・アウトが同年三月一日の時点において実施されたことに問題がある。

3 以上二、以下において認定した諸般の事実ならびにこれらに対する法律判断を彼此総合検討するとき、本件ロック・アウトはその実施期間中の何れの時点を捉えてみても、原研労組が昭和四三年二月二一日以降実施したストライキに対抗する争議行為としてその必要性および緊急性を欠くものであつて、公平の原則ならびに条理に照らし正当性の限界を超えたものといわざるをえない。

四 以上のようなわけで、本件ロック・アウトは正当なものとはいえないから、被告は民法第五三六条第二項により、原告らに対し本件ロック・アウトにより就労できなかつた期間中の同人らの賃金を支払うべき義務を有するところ、同賃金額は別紙債権目録に記載したとおりであることは当事者間に争いがない。ところで「日本原子力研究所職員給与規程」(甲第五五号証)によれば職員の給与の支給定日は毎月一五日(ただし休日を除く)であり、この支給定日に支給する給与は、当月分の本給、研究手当、研究要員手当等、ならびに前月分の放射線業務手当、原子炉等交替手当等となつており、また職員を給与の支給定日以後月末までに採用したときは、その月の本給、研究手当、初任給調整手当、研究要員手当は翌月の五日(ただし休日を除く)に支給し、さらに給与の支給定日以後月末までに職員の本給その他右の各手当につき異動を生じたときは、翌月の支給定日において増額または減額して支給する建前となつている。してみれば、被告の原告らに対する別紙債権目録中「合計」欄記載の各金員の支払義務は遅くも昭和四三年四月一六日原告ら全員に対し各履行遅滞に陥つたことになる。

なお被告は、原子炉等交替手当は二直または三直の勤務に現実に従事した職員に対して支給されるものであり、また放射線業務手当は原子炉等の運転その他所定の放射線業務に現実に従事した職員に対して支給されるものであるから、被告は以上の業務に現実に従事しなかつた原告らに対し、原子炉等交替手当ないし放射線業務手当を支給すべき義務を負うものではない旨主張する。しかしながら使用者の帰責事由によつて労働者が就労不能に陥つた場合、労働者は使用者に対して賃金のすべて、すなわち現実に就労した場合に支給を受けるべき全賃金につき支払を請求できることは民法第五三六条第二項本文に照らし疑問の余地はあるまい。しこうして原子炉等交替手当および放射線業務手当に関する給与制度の趣旨が被告主張のとおりであり、これらの手当は原子炉等の直勤務または放射線業務に現実に従事した者に対してのみ支給されるべきものであるとしても、このことは現実に右の業務に従事しなかつた原告らに対し、同項但書に基づき、前記各手当額につき償還請求権が成立するかどうかについて問題となるにすぎない。ところで被告の右償還請求がかりに成立したとしても、これを自働債権とする適法な相殺が行われない限り、原告らの前示賃金債権に消長を来たすいわれはない。さようなわけで被告の前示主張は採用の限りでない。

五 してみると、原告らが被告に対し、別紙債権目録中「合計」欄に記載する各金員およびこれに対する昭和四三年四月一六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴各請求はすべて正当として認容すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(別紙及び別表省略)

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